忘備録。
1. 公務員に対する志望度が前よりさがった理由
<官僚たちの夏を読んでいて思ったこと>
(モデルとなっている時代は古いけど、根底にある発想とか風土は共通するものがあると感じている)
・官僚は、極端に言えば、「事務次官になるための出世競争組織」である
→総合職で採用された時点で、キャリアを積みながら、いずれは重要な意思決定に関わる重要なポストにつくことが想定されている。自分は出世をしたいわけではないし、なんならずっと霞ヶ関に残りたいわけでもない。でも出世競争の中に置かれたら、出世したいという競争心が働いてしまう気もするし、逆に言えば出世(=より重要なポストにつく)を望み必死に働く人たちとの温度差が生まれるのも違うのではないか。
・官僚は女性の職場ではない
→上で書いたように、基本的にはキャリアを積み、重要なポストにつくことが想定される総合職では、体力的にも、結婚出産を考えた時にも、やむを得ず女性は蚊帳の外に置かれることが多そう。例えば外務省だったら、本省ではなくて海外の大使館派遣になるといったように。
・官僚は数ある利益団体や組織にかなり左右される
→意思決定は官僚だけでできるわけではない。経済界、国会議員、また省庁内部の派閥などによっても、政策決定には必ず利害関係が絡む。政策を履行するというのは、つまり諸勢力の妥協点を見つけることに他ならならず、これこそ官僚の仕事なのではないか。
<現役官僚のブログ・Twitterを見てて思ったこと>
・普通に国会期間の労働時間やばそう
→給料と労働時間のわりが合わないっていうのは本当なんだな。自分があれだけ働いて、体を壊さないか、家族に迷惑をかけないか、そこまで自信がない。
・政策決定のシステムと、官僚組織の非効率性は結構オワっている
→立案からの立法の流れが、とても効率が悪そう。効率が悪い組織だから優秀な人の芽を摘んでしまうっていうのは、どうやらほんとうらしい。
<スウェーデンに来て気づいたこと>
・官僚にならないと、社会貢献ができないわけではない。
→官僚になるということは、数ある選択肢の一つに過ぎない。
・社会のために「良い」こと、というのは幻想
→誰々のために「良い」というのは存在するが、万人のために良いものなどは存在しない
・善人ではない
→自分は、基本的には利益や見返りがないと動けない人間である。官僚になるとして、見えない誰かのために全力で奉仕するというよりは、自分の生きる意味を肯定するために必死で働くという感じになる。
<アメリカに行って思ったこと>
・大学に入る前は、自己成長だけがモチベーションだった。昔の自分は、自己成長の先に必ずしも社会貢献を想定していたわけではなくて、海外で働くとか、余暇にはショッピングをするとか、そういういわゆる「成功」をぼんやりと描いていたに過ぎなかった。
2. それでも官僚になりたいとしたらその理由
・今目の前に見えている選択肢の中で、一番「社会貢献性」の軸のポイントがたかい
・というかそもそも他の選択肢があまり見えていない
→その仕事が社会を動かしている、と実感できる選択肢って、他にあるのかしら
・自分で「良い」と思うものを推し進めるより、与えられたものをこなす方が得意
・地方出身→東大→官僚
という流れだとすると、自分の人生を大いに意味づけ、肯定することができる
・社会貢献欲/志向性が高い、という部分以外に、自分の中の素質で民間にアピールできるものがなんなのかわからない
→自分だからこそ持っているもの、自分だからとりたいと思ってもらえる企業に出会えるのかな
・官僚や霞が関への純粋なあこがれ
→日本の中枢を担っている人たち!教養がある人たち!あたまが切れる人たち!
・なんだかんだ言って、どんなに財界が強くとも、政策立案できるのは政府だけである。法律が動かなければ、根本的かつ広域的に社会を変えることはできないのではないか。
・地頭がいい人、一緒に働いていて尊敬できる人、社会のために汗を流したいと思っている人たちに囲まれて仕事がしたい
