難民の子供たちと遊んで思うのは、まずかわいい。無邪気。子供は環境の変化に強い。
引っ越してきたばかりなはずの子も赤十字の人とクロアチア語で話してる。今後クロアチアに住むかもわからないのに。
そして、Look at me!ってすごい言ってくる。私たちは小学校とかで小テストとか、体育の授業とか、なにかを達成して、褒めてもらう機会がたくさんあった。
だけどこの難民センターにはそれが遊びの中にしかなさそうだなと気づいた。

UNHCRから得ている衛生キットのパッキングは、みんなの効率の良さとチームワークでみんなもわたしもすごい楽しんだ。
ただ、これを毎回赤十字の人がやっているんだって考えると、疑問を感じる。難民の人たち、特に男性は日々暇そうなのに、赤十字の人たちだけが働いてるのではなくって、一緒にできたらいいのに。でも難民は入れ替わりが激しいから、難しいのかな。

昨日は一日子供たちと遊んでいただけで、これがあと5週間続くのかと思った。今日は別の仕事があったしそれはそれでよかったのだけれど、でも昨日は、これは耐えるしかないのだなと思った。そしてできるだけ赤十字の人と話そうと思った。私は草の根で働くことがどういうことか知りたいと言って、クロアチアに来た。もしわたしにとって、ここで働くことが表面を削る(これ日本語へん?)ようなものでそれに満足できないとしても、それはそれで良いのだと思った。というか、二日働いただけで草の根についてわかるわけがないなとも思う。

最後に、今日赤十字の人と話していて、得た新たな見解。
私は今まで難民庇護申請者が庇護を得ることをゴールとして考えていた。ものすごい厳しい環境からやってきて、すごい距離を移動して(今日Women's roomで話した難民の女性は、イラクからトルコ、セルビアを通ってクロアチアに来たらしい。信心深そうで、一緒にキリスト教の映画を観た。)、クロアチアで難民庇護を得るか、どこかにまた移動するか。そういう絶望的な状況を生き抜いた人が庇護申請を得るって、めっちゃすごいことだと感じてた。
だけど、難民も私たちと同じく普通に生活している人間で、着の身着のまま逃げて来ているというよりは、幾らかの貯金や所持金を切り崩しながら、移動して来ていると気づいた。難民視点にできるだけ立ってみれば、クロアチアに住むと決めた人にとってはきっと庇護申請が通るのは当たり前のことで、ゴールなんかではなく、スタート地点に過ぎないのだと思った。
難民センターを離れて自立した後の成功例や、頓挫してしまった例も聞いた。
だけどわたしは、難民について語るときあまりにも腫れ物に触るような語り方をし、難民を普通の人たちとして見れてなかったと気づいた。これは大きな気づき。

ああもう一個。Paper workなのは草の根も同じなんだなと思った。国連とかだけじゃなくて。一つのことを申請するのにすごい手間がかかるらしい。だから働き方で草の根かそれ以外かを選ぶときにそれは考慮に入れるべきではなさそう。