この前、ある友達と話してたんですね。

 

彼は私とは全然タイプが違う人です。

「頭がいい」にはいくつも意味が包含されていると思うんだけど、彼はセンスがとっても優れている人です。

 

 

私がかつて憧れていた、0から1を生み出せるタイプの人。

 

彼と対比すると、私は物事を真面目に着実にこなすのが得意。

 

 

ここで気付いたのは、昔は無い物ねだりをしていたけど、今は自分の強み弱みを含め、自分らしさを丸ごと受け入れられるようになったなあ、ということです。

 

 

私はこれまでの経験から、何かアイデアを思いついて人を巻き込んで率いていくことは好きじゃないとわかったのね。

いくらかっこよくて憧れても、自分には合ってないのかな、と思う。決め付けるわけじゃないけど、少なくとも今のところはしたいとおもわない。

 

でも逆に、これがしたい!と目をキラキラさせている人を、応援するのは好きだし、そのワクワクを実現させるために、着実に周りを固められる片腕、もしくは土台、になれたら、それもめちゃくちゃかっこいいんじゃないかと思ってる。

 

 

センスはないから、頑張って準備して臨まないと何事も成果を出すことはできない。でも、努力することについての自信はできた。

センスがあるって、すごい。羨ましい。

でも、努力ができることを羨ましいと思う人がいることにも気づいた。

 

 

だから私は今の自分に納得しているし、他の人の優れたところにばかり傾倒するのではなくて、自分の持っているものをまず認めてあげることも大切だなって思った。さらに、それができるようになってきた、と気付けて嬉しかった。

 

 

 

彼に言わせると、私は「日本の公教育の勝利みたい」だって。

 

つまりどういうことかというと、私は、日本の公教育をずっと受けてきて、東大に入って、今は日本社会に貢献したいと思ってる。

彼はそれを、まさに再生産だ、と言いつつ、じゃあ日本の土台を作る人になるんやね、とも言った。

 

 

日本の公教育の勝利っていうのは何を意味しているかというと、

日本という国が公教育を行うのは、究極には日本の次世代を回していくような人材を育てるためで、

私が「日本社会に貢献したい」という風に言いのけていることって、日本の公教育の目指す姿が達成されている顕著な例だなあ、ということでした。

 

私はやっぱり日本に生まれて、日本の教育という恩恵や弊害を受けつつ形成されたんだなあ、って思った。

 

 

改めて、そうか、今もこうして日本のシステムの一部として公的なお金をももらいながら留学に来ているのか、と思うと、

じゃあ日本の社会に貢献するためには私自身としては何を学ぶべきなんだろうか、外国から日本に何を持ち帰るべきなのか。はたまた、留学中にも日本のためにできることがあるんじゃないか、って。

 

そういったことを考えながら留学生活を生きていくことも、”私にとっては”有意義なのかもしれないと気づくことができました。