スウェーデンにいると、何をとってもいいしゃになってしまうので、他の人からはどうも留学生活がとっても好調に進んでいるように見えるようです。間違ってるわけではないです。

幸せだなと感じる瞬間はたくさんあるし、新しい出会いや気づきも毎日あります。でも、決して何もかもうまくいっているわけではないです。だからこそいく意味があるんだけどね。いろんなことを経験してきて、たいていのことでは乗り越えられるって自信があったけど、それでも目の前に壁やいばらの道を突き出して来てくれる留学って、すごいですね。

 

~目の前にある困難たち~

①英語について

これが多分、今一番苦しんでいることです。

これを日本の友達に言うと、英語得意じゃん!って絶対言われるのですが、そんなことはありません。

 

英語の上達には本当にいろんなレベルがあると思ってます。私はこれまで、質問されたことに答える、質問をする、テンプレ的なよく聞かれることについて説明する、っていう国際交流でよくあるシーン、日常会話で必要な英語、については自信をつけることができました。

あと、海外ドラマや映画、洋楽に浸った思春期のおかげか、東大の英語対策のおかげか、リスニングは得意です。講義で言われていることも、新出単語があるか先生の英語が相当なまっているかの場合を除けば、偽りなく「わかった」という感覚を得ることができます。

リーディングについては、日本語でも論文を読むのはそこまで得意ではないからなんとも言えないし、まだまだ大変だけど、さすがひたすら読まされてきた日本人たるもの、周りの留学生に劣っている感じはしません。

 

 

じゃあ何が問題か。それは、説明すること、です。

 

1年生の時に参加した国際交流系のキャンプで、夜に人狼ゲームをやったことがありました。

その時、スイス人の男の子が人狼を知らない人に向けて英語でペラペラ説明をしているのを見て、すごいなあと思ってました。

私には今でもあれができる気がしません。

 

というのも、相手が知らないことについて、わかりやすく、自分の頭のなかを整えるだけじゃなくて、伝えなければいけない。

説明するということは、会話の主導権を握るということでもあります。話している相手は私の言葉が続くのを待っている、それを理解しようとしている、このプレッシャーわかりますか。

 

単なる国際交流だったら、質問したり、なるほど、ウンウン、ってやってるだけでよかった。

でも、本当に個として生きていくため、価値を発揮していくためには、自分の言葉で主張できなければならない。説明できなければならない。というか、これだけ日本語で言語化するのが好きで、自分の考えを言葉に表して初めて認識した、と実感できるからこそ、頭の中にあるものが英語にならないこと、英語としてアウトプットできないことがどれだけもどかしいか。英語でペラペラ主張できる外国人についていくだけじゃなくって、私も、英語であっても、周りに価値を与えられるようになります。

 

 

((英語で考え事をするっていうのをはじめてみた。日本語で捉える時は一瞬なのに、考えるのに時間がかかる。))

 

 

②日本人であることについて

これは、そんなに意識してるんだ、ってすごいびっくりされるんだけど、そうなんです。

 

自分でもショックなことに、中国人の子とか、インド人の子を見るときと、ヨーロッパ系の子を見るとき、自分の中にはりつめる緊張感が違います。こんなに日本が好きで、価値もわかっているはずなのに、やっぱりアジア人であることに劣等感があるんですかね。自分の中の勝手な日本人像みたいなものに、自分をはめてしまっている気もします。

 

今回の留学の目的に、日本人らしさ、に依拠せず、本当にグローバルな人になる、というものがあります。

今は真逆ですね。

 

でもね多分①の英語力に改善の兆しが見られたら、自ずとグローバルな人としての自信がついてくる気がしています。

ただ今の所は、日本人ということをいやというほど意識してしまい、じゃあどういう自分になろうか、という答えのない問いに日々出会っています。せっかくだから前髪を伸ばそうかとか、ヨーロッパっぽい服を買おうかとか、迷走してます。笑 ヨーロッパに染めることも、日本人アイデンティティを貫くことも、どちらも選択できることがわかって、まだまだ若いなって思います。笑

 

 

頑張ります!!!