南アジア途上国における教育っていう授業を取ってたんだけど、その最終レポート、「紛争後の社会における教育の課題とそこへの人的資源開発的アプローチの有効性」というテーマで書いているのね(イカ東とはこのこと!)
ファーストキャリアでそこに辿り着く気はしないけど、いずれ本当にやりたい”平和教育”に関する本とかを課題のために読んで、ものすごいワクワクしてた。
やっぱり自分が平和平和っていうようになった原体験になってるのが”平和教育”の必要性を感じたことだから、それに学問的に触れることって、自分らしさと社会とがすこしだけ近くなった気がして、嬉しい。
最近思うのは、そういう原体験を誰しも得られて自分のものにできたらいいなってこと
私が志のたまごっぽいものに出会えたのは本当にたまたまで、それを言語化できたのも出会いに恵まれたから
学生の間は行動と内省のサイクルがめちゃめちゃ回っていることが必要だと思う。
今、東ティモールの紛争後の国づくりの本を課題で読んでたんだけど、特に戦争で資源もゼロになってしまった国では、国の発展のためには、人材が何よりのポテンシャルになるみたいなのね。
だからこそ政策として国もちゃんとお金を投じてる、たとえば農業に助成金を出すみたいに、国庫からお金を出して「人を育てる」という政策がとられてる。
だけど、あ、これって東ティモールに限った話じゃないな、って気づいた。
当たり前なんだけど、日本もこれやってるよね。
留学するとき、今は外務省から奨学金をもらえたらいいなって思ってたのね。あとは海外に行くたび、大学から助成金をもらったりしてた。
このお金って、せっかくもらえるし通ったらラッキー、って感じに思ってた。
でも、そうじゃなくって。
海外経験の先には期待されてるのは、私が輩出されること。
具体的にはまずは日本社会に貢献すること。
そのあとに国際社会における日本の責任を果たすために動く人になること。
そういう人材を教育することが日本の国として必要だから、こうして投資してもらってるんだなあと思うと、はっとしました。
もちろん今までの経験は、自分にとって必要な経験だと思うから全部取ってきたつもりだったけど、それだけじゃなくって、それが国や世界のためになるか、って、
政策や制度を作っている人たちが、どんな思いでお金を出しているか、そこにどんな期待や希望を込めているか。
目の前の機会を機会として捉える自分発の視点だけじゃなくって、その意図を少しでも汲み取ろうとする視点が必要だなあって感じた。
これに気づけてよかった。
