今回のテーマは、私らしさ、だったと思う。
私自身に向き合うということに加え、”平和”と”日本人であること”の二つがキーポイントであり、今回は前編としてこの二つについて書きたいと思います。

1. 平和について

私は平和への切り込み方の一つとして、草の根で働くことがどういうことか知りたいと言って来た。
私の中でできた草の根の定義は、課題を抱えた人・ものを目の前にして働くこと。もちろん草の根の働き方や機関にも色々あって、一概には言えないということも大きな学びの一つだった。

まず、草の根で難民支援がしたいのかという疑問。
結論から言えば、違う。

~難民支援について~

もともと難民支援がしたかったのは、それが平和への道筋の一つだと考えたから。つまり、「争いから逃げることを強いられた人々が自立し、ゆくゆくは平和への取り組みを行う第一人者になって欲しい」と思ってたから。確かにそうなったら理想かもしれないけど、彼らが望んでいるのはやっぱり、ごく普通の生活だった。こちらから願うストーリー通りにいくわけがない。

難民って言っても、何も言っていないのと一緒だということを、実際に彼らを目にして感じた。

例えば、実は私が日々関わっていた人たちは難民じゃない。
ちょっと難民をかじった人なら知っているかもしれないけど、法的にrefugeeといえるのは政府から認定を受けた人で、難民認定を待っている人たちをasylum seekersと言ってる。あのセンターには、主にクロアチア政府に対して庇護申請を行い、難民として庇護を受けることを待っている人たち、つまり後者が多かった。
人々がセンターにやって来た理由も、それまでの経路も、出身国も、これからのライフプランも、全然違う。
クロアチアで庇護を受け、難民としてクロアチア社会に定着することを目指す人、他の国を目指す人、本当に多様だった。
難民が難民たるゆえんは、政治的や社会的な外的要因だけで、それを除けばすごくすごく普通の人たちだってこと、やっとわかった。
難民だからって何かを我慢するのは違うし、彼らもそんなつもりは更々ない。
難民は、政治のしわ寄せみたいなものだと強く思った。
(難民について知りたい人、語りたい人、ぜひご一報ください。私も、こうやって熱とともに語れ深くなれる分野ができてとても嬉しい。)


~関わり方について~

実際に支援に関わって見て、支援自体を大きく動かすのは国家の政策であり、政府だと感じた。権限も、財源も、世論も。

ただしそれだけじゃ説明しきれないところもあって。例えば法制度では保障できない、かばいきれないのが人の気持ち、心理的な部分。
いくら資金と物資を投入しても、支援には血の気があるとは言えず不十分で、それは表には現れてこない。ここに、「人」が直接的に関わることが必要。

今回草の根に関わってみて、そのすごさがわかった。
たぶん、草の根の支援をしているだけでは社会を大きく変えることはできない。だけど、支援をしている人の生活は大きく変わる。というか、草の根の支援がないと生活が成り立たない人がたくさんいて、誰かがやらないと世界は回らなくなってしまう。

赤十字のアンケートで聞いた「難民支援における赤十字の強みはなんですか」という項目。
配慮、共感、忍耐、という答えが鮮明に心に残ってる。
草の根の人たちは、難民自身ではどうしようもできない不合理な状況があることを踏まえ、案じ、社会が変わることを願いながら、彼らのそばで一緒にいてあげられる人たちなのではないかと思った。それって支援される側の「仲間」のような存在で、社会を革新的かつ持続的に変えることだけが素晴らしいことなのではなく、もっと評価されるべきだと感じた。私はそこに従事できて、そのすごさに気付けて本当に良かった。


~じゃあ、私はどうしたいのか~

私の固有性ってなんだろう、って思った時に考えたこと。
難民の人たちや草の根の人たちが直面する、変えたくても変わらない現実、その不条理さを目の当たりにした。
これで草の根や現場を十分見たと言えるわけでは決してないけど、それでも、彼らにつきまとう不条理、普通の人が普通ではなくなってしまっている原因を変えられる可能性が少しでも高いのは、草の根じゃない人たち。私には草の根でコツコツ支援を続けることがきっとできない代わりに、彼らに変えられない部分に力を及ぼす可能性がある職を選ぶことができる。
それこそが、私が今までもこれからも勉強し成長していく理由だと思うし、家族や周りの人に支えてもらう価値のあることだと感じた。