今日はまず私なりにこの環境が私にとってどれだけ「ん?」ってなるものであるかを中心に書いてみます。

・普段は10時出勤なんだけど、昨日30分早く帰っていい代わりに今日は特別な仕事があって9時半に来てと言われてた。
でもみんな揃ったの定時過ぎ。

・今日の夜からブタペストに行くので午後の仕事休みますーって言って帰り始める女子3人

・色々あって今日Cleaningセクションに行く人がいなくて、じゃあいいよ私行くよってなって掃除してたんだけど、とにかく汚い。赤十字の人はなんか掃除中にタバコとか吸って休憩してるし、「名前何?」って言われて「もえかです」って言ったら、「モエカ、そこの茂みを掃除して」って言われた。
言われた通り茂みに入って掃除しようとしたら、使い終わったオムツとか、腐ったリンゴとか、中にアリがうじゃうじゃしてるお菓子とかがいっぱい。
1つだけよかったのは、今日も難民の人が2人参加してくれたこと。

・金曜日はイスラム教の人がモスクに行く日で、確かにワークショップにもあまり人が来ないのだけれど、ランチタイムの途中に「今日何か仕事あるの?私この部屋に座って何もせずぼけっとしてるくらいならもう今日は帰りたい。私だって暇じゃないの。てかそうやって赤十字の人に言おうよ」というある子の声に始まり、「今聞いて来たけどやることないって!でも1時まで待ってとか言ってる、なんで!?そもそも別に私たちのことなんて雑用か掃除か子供の相手か誰もこないワークショップをやるかのためにしか必要としてないのに、なんで私たちのことをボランティアとして雇うのよ?やることないなら私たちがいる意味って何?もう帰りましょ!そうやって言ってくるから待ってて!」「そうだそうだ!」
みたいな感じで、まさかの全員午前中で帰ることに。

ボランティアに対する態度って、こんなにも違うんだなあと思った。

仕事がないのって、赤十字のコーディネーターが悪いのかな。
今まで私が経験したこと、例えば運動部のマネージャーとか、インターンとかでは、仕事に対して主体的になれなければ仕事はもらえなくて、それは自分のせいだった。

だけどここでの価値観はわからない。もはや何が正しいのかはわからない。正しさなんてないのかもしれない。

ただ、良くも悪くも、他の多くの子は本当に自分を正しいと考えているのだなあと思った。
多くの日本人は、生き方として自分を責めすぎなのかもしれない。
もっと自分中心に生きないと、社会で不条理を被るのかも。


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今日はほかに、靴の寄付を赤十字が受けてて、それを車から地下倉庫にせっせと運ぶっていう仕事があったのね。その時に地下の倉庫を見たんだけど、すごいよ。聞くと、地元の団体だけじゃなくってZARAとかNIKEとかからも服や下着、靴の寄付を受けてるんだって。
どうやって配布しているんだろう?と思って聞いてみたら、シートに必要なものとサイズと個数を書いて、それを赤十字の人が持ってくる、って感じらしい。だから、服の柄とか靴の微妙なサイズとかはどうやら選べないみたい。
というか、待機中の服多すぎ。(ください)

ただし、せっせと運んだ靴は箱を開けてみたらこんなハイヒールでカラフルなものだったりして、これ誰が履くの?って感じですこしがっかり。しかもこれと同じ靴が40足あった。難民への寄付=在庫処分、ではないはずなのに。

Cleaningの時も思ったけど、ここで必要なのは、資源をどう動かすか考える力なんじゃないかなあと思う。難民が手持ち無沙汰でワークショップを企画するくらいなら、自分たちが住むところの掃除とか棚卸しとかをしてもらってもいいのではないかと思った。難民はお客さんではないはず。かわいそうかわいそうっていって寄付を受けたり手をかけてもらったりして、彼らが自分の食べたもののゴミさえ処理しない現状ってどうなんだろう。
ただし、じゃあどう取り組むか?に思考を回すことを怠ってるような。


そりゃ目の前にあるゴミを拾ったり、ワークショップをやって来た人を記録して報告するっていうのは簡単だけど、それは持続的だと言えないし、本当の課題に手をつけるときりがないし面倒だから、見て見ぬ振りをしているような気がする。

じゃあそれを私たちがやったらいいんじゃない?って思う人もいるかもしれない。だけど、その前の段階には「赤十字の人がやって欲しいと言ったことしかやるべきじゃない」という価値観の子たちがいる。多分主体的に何かする、っていう発想がないのか、それはすべきじゃないと思っているのか。ここに対する対処法は考えないと。

追伸:明日からサラエボに行きます。ワクワクというより、往復とも8時間の夜行バスとめっちゃ歩くであろうヨーロッパのみなさんとの行程にけっこうびびっています。しかも国境で起こされる。たのしみたい。