今回一番関心があった、大川小学校について。

実際石巻の街も、例えば歩道橋とか石のコンクリートとかは古いまま残っているのに、代わりに建っている学校は綺麗な新築の建物であったりして。不自然というか、無機質だなあと思った。

 

 

 

遺族の方々は、裁判に勝っても負けても悲しい。

 

遺族は、子供を返して、という裁判をやってほしがる。だが、弁護士はお金をとってくることしかできない。

 

裁判においては、どこに過失があるかという話だけど、遺族の方々が一番知りたいのは、子供がどんな最期を迎えたか、どんな風が吹いていたか、どんな状況だったか、ということ。

 

 

どこを訴えるか??

 

地震後の対応、現場にいた教師11人

ということよりは、

地震前、つまり平時の対策の不備を訴えるべきではないか、

 

大川小学校は公立で義務教育。

親はつまり大川小に通わせないといけない。

 

この地域では、家制度が根付いていて、由緒正しい家がたくさんある。そんな中で子供達が亡くなってしまって、家が断絶する、ということもある。そのために不妊治療を始めた方もいるが、そこに関する補助金は出ない。

 

先生と先生の遺族は顔を上げられない状況だという事実もある。

 

 

 

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遺族の方のお話

 

①遺族かつ、生存児の親。

 

生き残った息子のおかげで大川小学校の全貌が見えてきた。彼は聞き取り調査に参加したり、語り部の活動をしたりもしている。

 

困難な思いは俺で終わりにしてくれ、と言っていたらしい。

 

 

あの日あそこで生き残った息子に、大人はちゃんとやってるよ、というところを見せたい。

 

真実は何だったのか、を知りたい。

こっちとしては、証言から教務主任の話は嘘だと知ってる。

 

 

被災地の子供達は、3~5年たつと心理的にその影響が出てくる。

今不登校の子が多いのもそれと無関係ではない。

 

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②息子を亡くした親。

 

生きてれば、大学二年生。

七年経っても、3・11の朝に行ってきますといった息子の姿しか思い出せず、そこで時が止まってしまってる。

 

学校で起きたことだし、生存した先生がいると聞いて、すぐ全容がわかると思って安心した。

生存した先生が話をしないのは、

⑴行政の圧力によって事実を話すことができないので、PTSDになっている。

⑵職務放棄したことで、その自責の念がある。

という2つの意見。

 

ところが、義務教育の現場で起こったはずなのに誰もお詫びされていない。

裁判を起こさなければ、原因究明もできない。

 

教師は、人を創る仕事。

いい先生に会うかどうかで、その子の人生が変わる。

 

 

1審の時点で、だいぶ疲れた。

裁判の大変さ。日本では、裁判をすることがいいことではないという流れがある。

 

2審になった頃に事実がだいぶわかってきた。

市が上告するか迷っていることに関して、子供達の安全を守りたくないと言っているようなものだと思う。

 

子供を亡くして悲しんでいる親がいない社会になってほしい。

 

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③5年生の娘を亡くした親。

 

現地を案内したけど、傷ついた校舎を全国、世界中から人々が訪れてくれる。

学校防災や命の大切さを発信する場所であり、娘が生きた証を確認するような遺族にとって大切な場でもある。

 

登校式で校長が、生き残った子供達を集めて、「お友達が減っちゃったけど、明るい学校を作ろうね」と言った。

これに遺族は不信感を覚えた。まだ見つかっていない子もいるのに。

 

2審の判決を見ると、子供たちが必死に声を上げているような判決だと思う。

 

 

 

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人間は自然には抗えない。人工物は破壊されてもなお、自然だけが残る。

 

って感じの現代文を読んだことがあるんだけど、まさにその通りだった。

津波でボロボロになった校舎と、その周りに広がる自然のコントラストが皮肉だなあと思った。

 

 

娘を亡くしたお父さんは、娘のことが恋しくなったときに学校の跡地に来て、荷物置きのところに消えずに残っている娘の名前を、娘が生きた証として見るんだって。

 

逆にいうと、津波によって子供を流された親には、ほんの小さな名前一つしか残されていない。

 

私はやっぱり人が好きで、家族とかそばにいてくれる人、友達を失うって思うと胸が裂けそうだし、それを制度面から変えたいっていう思いがあるような気がする。紛争を止めたいのもそう。

 

 

ただ、今回遺族の話を聞いただけでは左寄りの思想になってしまうのは否めないし、教師や市の対応に果たしてどこまで責任追及すべきか、は考えなきゃいけないよね。ってみんなと話しててなった。どこまでが環境要因、やむを得ない範囲、そしてどこからが人為的ミスなのかを考えることが必要で、だけどそれはすごく難しいこともわかった。

 

 

悲劇だった、不運だった、で済ませることはないにしても、

近隣住民もほとんど亡くなっている中で、先生がたの対応をそこまで責められるか?

 

過去そんなにも大きな津波の事例はなく、ハザードマップにも載っていない、避難所に設定されていた学校。

緊急時の対応に関しても津波は想定されておらず、学校の校庭より先に避難場所が設定されていなかった。

 

こういった場合、どこを責めればいいのか???

 

 

ちょっと考えただけじゃ全く見当はつかないし、裁判の行き先を見守りたいと思います。