今日はミャンマーの難民について。(ユーゴはちょっと待ってくださいね。つかれた。だけどこの記事書くのもめっちゃ時間かかった。)

 

 

 

ミャンマーの難民!っていうと、ロヒンギャロヒンギャ言ってるけど、実はロヒンギャ族だけが難民になってるわけではないんです。

(この状態だと、メディアとかでよく取り上げられるロヒンギャ難民キャンプにはお金が集まるけど、他の民族に対してはお金が集まりにくいっていう問題があるはず。)

私もミャンマー難民を扱い始めるまで全然知らなかった。

 

 

そもそも、ミャンマーで難民が起こったのは、ミャンマー(ビルマの方が正しいかもしれないけどミャンマーで統一しますね)軍事政権と、ミャンマー国内の少数民族の対立がきっかけ。

 

ミャンマー国内には100を超える民族が存在するんだって。

なんか世界史でもやったなあ。

 

もともとイギリスの植民地支配下にあったけど、独立するときに、少数民族の自治をどうするかが問題になりました。少数民族と新政府との間で、少数民族の自治を認める形で合意が進みましたが、実態は異なり、その内容はほぼ守られなかったそうです。

 

このため、少数民族の反乱が重なって政情不安が続き、結局軍のクーデターでネウィン将軍率いる社会主義軍政へと移行しました。

 

1988年、民主化を求めるデモが盛り上がり、アウン=サン=スーチー氏(ビルマ独立の際のアウン=サン将軍の娘)は軍政に反対し続けて自宅に軟禁されました。1991年にノーベル平和賞を受賞したことで有名ですが、それでもなお彼女がミャンマーを出国することは認められませんでした。

 

軍政の支配は国際社会からも非難を受け、貧困と圧政に苦しむ国民の民主化運動を抑えることも困難になってきました。

 

このような背景の中で、軍事政権のタンシュエ将軍がテインセインに政権を譲り、文民政権が発足しました。

スーチー氏の軟禁も解かれ、彼女が率いる民主主義的政党(NLD)が選挙に出られるようになりました。

 

スーチー氏は規定で大統領になることはできないものの、「国家顧問」として彼女の影響力の元でミャンマーの民主化が進んでいます。

 

ただし、憲法に残っている特権を軍政は簡単に手放す訳ではなく、民主化をいかに進めていくかに関して課題は多いって。

 

 

民主化してもなお、軍の人権侵害が続いていること、それに対するアウン=サン=スーチーの対応が不十分だとして、まだまだミャンマーの難民問題の解決は時間がかかりそうです。

 

 

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民主化運動ってすごいな。政府と戦うって、想像できる???

今まで確実で、揺らがない正当性があると思ってた政府を覆す!!!!

冷静に考えただけでスゴイ。

 

 

なんで難民系の記事が多いんだ?と思うかもしれないけど、実は今サークルで、難民問題に関するプロジェクトをやってるんです。言ったっけ。

それに際して、これから新入生がグループに入るんだけど、リーダーが難民問題にある程度詳しくなかったらうーんって感じかなあ?と思って。

だけど難民に関する情報ってすごいバラバラとしかネット上になくて、なんだか大変。

 

でも知る必要がありますね。

 

参考文献

http://www.amnesty.or.jp/human-rights/region/asia/myanmar/minority.html

http://www.y-history.net/appendix/wh0802-053.html#wh1601-135

https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-082-12-02-g034

https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/6242.html

 

 

 

 

おまけ。

英語の授業で、「evil」とは何か。っていう議論をした。

で、一緒に喋った女の子が言ってたこと。

 

Evilを定義するのって難しい。

でも、平和に積極的平和と消極的平和があるとして、

evilにもpositive evilとnegative evilがあると思う。

Positive evilは、自分から相手を傷つけたり、攻撃したりする場合。

Negative evilは、攻撃があって守れるのに守らなかったり、見過ごしたりする場合。

 

これって、結構なににでも使える概念だなあって思う。

積極的やさしさと消極的やさしさとか。笑