心屋リセットカウンセラーのミユです。

 

 


 

きのうのブログでも書いた

大好きなゆっちさん

Beトレオープニングアクト動画↓


 

 

 

この動画の最後のほうの

ゆっちさんの言葉に

心が揺れた。

 

 

 

流れに流されて

大いなるものにゆだねて

 

でも

何者にもならず

自分の芯はゆずらず

 

そんな感じで

生きていこうと思えた

 

 

 

この、

「何者にもならず」というところに

ドキッとした。



何者にもならず……



何者にもならないなんて、

恐ろしいことだと思ってきたから。





子供のころからずっと

特別な何者かになりたかった。



社会的に認められ

人に羨ましがられる

仕事をするとか



何かひとつの趣味をきわめて

個展を開くとか

賞を取るとか



ものすごくいい人になって

感謝され

頼られる存在になるとか。



何でもいいから

人とは違う

特別な何者かになりたかった。



自分は特別だと思いたかった。



学校でいつも

人と自分を比べていた。

あの子の方が私より上

あの子の方が私より下



そんな自分を、

子供らしくない

不純な

醜い心の持ち主だと思っていた。



 小学生の時はそこそこ優秀

でも

学年が上がるたびに

成績はずり落ちて



自己評価はどんどん下がっていった。



ふつうの成績じゃだめ

ふつうの学校じゃだめ

ふつうの進路じゃだめ

ふつうの人生じゃだめ



そう思ってたら、

ふつう以下の人生になった。





大金を払ってマスターに行ったのは

ふつう以下を

脱却するためだったかもしれない。



大金を払ってマスターに行ったら

特別な何者かに

なれると思ったのかもしれない。



人生の大逆転てきな。




でもマスターは

特別な体験ではあったけど



特別な何者かになれるわけじゃなかった。



むしろ、

何者にもならなくていい

そのままの自分でいいと

教えてくれる場所だった。





特別な何者かにならなければ




お母さんを

がっかりさせると思っていた。

お父さんを

がっかりさせると思っていた。



特別な何者かになって

両親を喜ばせたかった。



両親を安心させたかった。


 

自慢の娘でいたかった。




できそこないの私は

両親を不幸にしたと思っていた。




でもたぶん

それって勘違い。




私が特別な何者かじゃなくても



私がリウマチで働けなくても



私が離婚しても



きっと

お母さんもお父さんも

幸せで

 


私は私であるだけで



両親の

自慢の娘なんだ。




特別な

何者にもならなくていい。




私は私であるだけでいい。




私が私であることが

いちばん大切で

特別なことだと





いま、ようやくそう思える。