総裁候補めいめいが勝手に見解を述べるだけではそれぞれの微妙な違いも分からず有権者も投票しにくい。アメリカ大統領候補のトランプ対ハリスの激論のように日本でも候補同士でかんかんがくがくの討論が必要だが誰もやろうとしないのはそういう訓練ができてないからだ。
日本でも学校で討論の授業をすべきだ。アメリカではディベート(debate)という授業があって先生の出すテーマについて賛成、反対の2つにクラスの生徒を分けてそれぞれの立場に立って意見を言う。それも言いっぱなしではなく、1つの意見に対して必ず反対意見をだれかに理由をつけて言わせるのだ。普段はそのテーマに反対の立場であっても賛成側の意見を言わされることになるのだから面白い。
こういう訓練を受けてない日本人は1人の意見に対する反論を根拠、立場を説明して意見の優劣を争う訓練ができてないから、反対と賛成を表明するだけしかできず、討論しながら合意点を見出すことができないので、相手を説得できない。
特に今までに答えを聞いたことがない問題、たとえば災害で家を壊されたので安全な土地へ引っ越すべきかという問題について、知らない土地での周囲との付き合い、今の仕事が続けられるかというような問題である。
個人的な問題とは限らない。地域社会全体の問題になる場合は住民全体で会議、討論が必要だ。民主主義の根幹をなす議論のやり方が分かってないから国会でも質疑応答だけで議論、討論がない。与党が多数決で押し通すばかりだ。2024.9.13投稿