Newsweek12/13号にシベリアに監禁された日本軍捕虜の過酷極まる抑留生活の記事を見て私の小学校時代にも新聞に連載されていたのを思い出した。今回の記事ではラーゲリと呼ばれるその収容所から1956年に生還した人を主人公にした映画が12/9に公開されたことも知った。

 広いシベリアのあちこちの2000ほどのラーゲリに分散して抑留され、多いところでは2万人、あるいは数千人からごく少人数までさまざまだったという。位置も樺太に近い東端のハバロフスクから中央のバイカル湖付近あるいはウラル山脈に近いところまでに及んでおり、総計で60万人いたとは驚きだ。さらに戦後まもなく漁をしていた人が領海侵犯、スパイなどの名目で拿捕されたのはよく新聞に出たのを覚えているが彼らもラーゲリ送りになったとある。

 これらラーゲリ抑留の目的は戦争で3000万人も失われたソ連の人手不足を補うためであった。だからドイツ人捕虜も200万が人的賠償として使役されたのも初めて知ったが、実はヤルタ会談では賠償の中にドイツの労働力使用が含まれてり、千島列島もソ連に渡すことになっていたのだとある。

 収容所ではソ連は共産主義教育のために1946年5月から日本新聞と題する文書を抑留者に配布、宣伝して洗脳を始め、アクチブと呼ばれる共産主義シンパを育成したのだ。その結果日本人同士で密告し合うという状況になった。

 生き残った者は日ソ間赤十字の計らいで1953年から1956年にかけて段階的に日本へ引き揚げた。この時の引き揚げ船が舞鶴港に来たので舞鶴には記念館があり、ソ連の犯罪を今に伝えている。

 そして結末はソ連崩壊後になりエリツイン大統領が来日して非人間的行為を謝罪したが、これはテレビ放映されたので記憶に残っている。謝罪してくれたのがせめてもの救いだ。

 翻って慰安婦や徴用工で日本は韓国に謝罪してないが、ロシア人より程度が悪いのか。 

 結局これら抑留中に5.5万人が死亡。現在でも1.5万人が身元不明とのことである。2022.12.12投稿12/15赤字訂正