きょうのyoutubeに8/15の昭和天皇の降伏宣言の詔勅から8/26にマッカーサーが日本に到着し占領開始するまでの命がけの日本軍内部の抗争が明かされていた。学校では教わらなかったし歴史書にも記載がないと思われ、当時の日本の軍人魂が、というより日本人気質が表れているので紹介する。
事の起こりは無条件降伏のさまざまな条件の細部の打ち合わせに使節をマニラへ来させろとのマッカーサー指令。8/19に陸軍の一式陸上攻撃機2機に分乗した日本軍代表16人が途中で撃墜されぬように日の丸を消して全体を白く塗装し緑十字を表示して飛んだ。
しかし、それを厚木の海軍基地の小園司令は降伏なんて腰抜けは天皇の軍隊じゃないといきり立ち、この使節をゼロ戦で撃墜しようと企みたのだ。
ところが陸軍では事前にこれを察知して緑十字機のおとり機を飛ばし、本物は南回りで迂回して途中の沖縄の伊江島で米軍機と落ち合ったのだ。そのため海軍のゼロ戦は目標を発見できず、緑十字機は難を逃れ、使節を載せた陸攻は無事沖縄の伊江島経由でマニラに着陸した。この様子は短波放送で全世界に中継されたというのだ。つまり緑十字機の動きは世界中がかたずをのんで見守り、全世界が終戦をいかに待ち望んでいたかがわかる。
一方この8/15のポツダム宣言受諾公表後もソ連は樺太から千島へ進軍、降伏文書の正式調印までは戦争だと言い張り、北海道北半分まで占領するつもりでいたのだから驚く。幸い北海道は無事だったが千島列島は今でも不法占拠されたままであるのは御存じの通り。
この間、高松宮も海軍厚木基地のはねっかえりというか超過激派の説得に当たったとのこと。Youtube動画にはこの超過激派の生き残りが2人も登場し、降伏はあり得ず死あるのみ、軍上層部は何も分かってないといきまいていうほどの頑固さ。
使節の役を担った陸軍代表も決死の覚悟で、マニラで万一談判が決裂でもした場合は相手と刺し違えるためけん銃を忍ばせていたとのこと。その決死行のかいあって日本には帰れたが、燃料切れで静岡県の海岸へ不時着しながらも大命を果たした。この記念すべき機体の一部は現地に保存されている。
そしてマッカーサーが8/26に厚木に到着、あとは歴史書の通りである。2022.8.9投稿8/10赤字訂正追加