Youtubeでシベリア抑留体験者93才~97才数人の証言談を見た。満州では日本降伏後にもかかわらず、終戦後にソ連に連行されたり、あるいはその前8/7にソ連軍が戦車で押し寄せて来てつかまり、ロシア語で「ダモイ(帰る)」とだまされて貨車に載せられ、シベリアへ送られて、60万人もが収容所に閉じ込められて強制労働させられ、6万人が生きて帰れなかったといわれているがいまだに実態不明。
死因は飢え、寒さ、しらみの媒介する病気など。
戦争で3000万人も犠牲者の出たソ連の人手不足を補うために開墾作業、炭鉱などでこき使うためだった。スターリンが1945年命令したとされる。
収容所の1つがあったのはタイシェットという地名。零下40度の酷寒地でしかもあわ、ひえ、こうりゃんなど粗末な食糧でこき使われた。腹が減って体がもたないので自分の便の中から消化せず残ったもみがらを取り出し食べたと。それでも俺は負けないという気力で乗り切ったのだ。
労役の力を抜くとむちでひっぱたかれ紫のあざができた。寝るのは粗末な丸太小屋のすき間風が入る中で、薪ストーブが1つだけしかない。
第1次大戦時の日本のシベリア出兵への報復か。抑留期間は2年ほど。ロシアから保障などの正式な解決はしてないようだ。エリツイン大統領が謝罪したことはあるが、シベリアには未回収遺骨が残されたままであり、学校の歴史教育でも取り上げるなど、政府の正式対応が必要であり、うやむやのままではシベリアに眠る遺骨が化けて出るぞ、許されない。2022.4.15投稿