先日の毎日新聞に太平洋戦争開戦からちょうど80年が経ったとして、戦時中に満州にいた元少年兵の体験談を載せている。
それによるとこの少年兵は東京農工大在学中に同窓生80名諸共召集されているが、生き残ったのはわずか40名。終戦間際にソ連軍が侵略してきたが兵隊というてもどうやら銃も何もなかったと見えてただ逃げ回るだけだったようだ。それも死亡原因は飢えと寒さによるものであり、喉が渇いたと言っては道端の草の茎をかじってその汁をすするとか、水たまりの水をすするのだ。まさにこれは当時の軍歌に歌われた「泥水すすり草を嚙み」そのままだ。
要するに戦争継続できない状況まで追い詰められたのだから素直に降伏すればよかったものをそれもできずにただただ死人を増やすしかなかったのは要するに馬鹿だという証明。
2度と繰り返さぬための反省点は開戦する前にどこまで負けたら降伏し、その仲介はだれに頼むのかを決めておけということに尽きる。逆にどこまで勝ったら和平交渉を持ち出すか、これも仲介役が必要なのだ。これらを何も考えることができずにしゃにむに目障りな国に対して突撃することしか考えられないのはやはりキチガイか?2021.12.3投稿