2020.2.15に投稿のごとく天孫降臨の少し以前に大国主神が地球に帰還登場したわけで,原文で見ると下図のように、

大国主地球帰還
古文翻訳は、
故の大国主神、出雲の御大の御前にますときに、波の穂より天の羅摩船に乗りてひむしの皮を内剥ぎに剥ぎて着物にして帰り来る神あり。彼その名を問わすれども答えず。また三友の神たちに問わすれども皆知らずとまおしき。」

 ここにある天の羅摩船が宇宙船、ひむしの皮を丸剥ぎにしたような服とは宇宙服だろうというてます。

2020.2.15の投稿で書いた天孫降臨を示すのが次の漢文です。天孫降臨日本の古文に翻訳すると、

「ここに天津日子番能(あまつひこほの)邇邇芸命(ににぎのみこと)、天の石位(いわくら)を離れ、天の八重たな雲を押し分けて伊都の道別き道別きて、天の浮橋にうきじまり、そりたたして、筑紫の日向の高千穂のくじふる多気に天降りましき。」
 つまり宮崎県にある高千穂の峰へににぎのみことが天の浮橋から降り立つ。天に浮かぶ橋、つまり明らかにこれは宇宙に浮かんだ小惑星にある都市を指します。

 邇邇芸命が上記のようにいわゆる天孫降臨をする時、天の浮橋の統治者である天照大御神から私の代わりだと思えと与えられた思い金の神(コンピュータ)と鏡(ディスプレイ)が伊勢神宮の内宮に祭られ、豊由宇気(とようけ)の神(蒸気機関)が外宮に祭られていると真説古事記の著者はいう。今から2000年ほど前の話であると。

 これについて日本書紀を引用する文献には、
天孫・邇邇芸命が降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡(やたかがみ)に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀』)」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。」とあるので、真説古事記でいう鏡が八咫鏡である。

 そして降臨の途中の火星近辺まで猿田毘古の神が地球から出迎えに来たとあります。猿田毘古の神は元は宇宙都市から地球へ帰還した者ですが長く地球に住むうちに情が地球に移ってしまい、宇宙派から容赦なく暗殺される。このあたりはドロドロした内容になっている。

  そして上記邇邇芸命の子孫から神武天皇が生まれ、日本の東征の旅に出る。大分、福岡、広島、大阪から地球派の本拠地奈良に到達して畝傍の橿原宮に居を構えて大和時代になり、明確な日本の有史時代となる。

   フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)によると伊勢神宮には天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれ、天孫・邇邇芸命が降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡(やたかがみ)に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀』)」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。

  伊勢神宮の創立は 4世紀初頭。内崇神天皇のときに,代々宮中にまつってきた八咫鏡を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に移し,さらに垂仁天皇のときに,五十鈴川上流の現在地に社を造営したのが起源といわれる。外宮は古名を度会宮(わたらいのみや)ともいい,雄略天皇のときにトユケノオオカミを丹波国から移したことに始まるとされる。 2020.2.20投稿