2020年1月のテレビで放送された満州開拓団の悲劇です。
宮城県の鹿島台開拓団のうち、生きて帰国できた女性(90才ぐらいと80代の2人)のインタビュー番組です。
1945年8/9にソ満国境を越えて攻め入ったソ連軍に追われてボツリ(勃利)からハルビンを経て南下し、1年以上もかけて日本へ帰国したのは1946年秋だった。271名の開拓団中、生きて帰れたのは87人で残り184名が死亡したとのこと。
NETで調べると、ソ連侵略はヤルタ協定に基づき日ソ中立条約解除を日本に通告後直ちに日本に宣戦布告したもの。
しかし3か月前の1945年5月の日本は最高戦争指導会議構成員会議が決定したソ連の参戦防止のための具体案の中には、北満諸鉄道の譲渡、内蒙のソ連勢力範囲編入、旅順、大連の租借権譲渡などが含まれていた。
つまり日本案によっても、満洲国は事実上解消されることになっていたのである。
これに近い案は、1944年9月、小磯内閣時代の最高戦争指導会議で、すでに審議されていた。
それにもかかわらず、満蒙開拓民は終戦の年まで、“お国のため”といわれ、半強制的に送り出されていた。
この無責任さ、うそつき体質は今でも日本の政府に、特に安倍晋三内閣に受け継がれています。 2020.1.7投稿
