日立製作所で建造された陸軍潜水艇

私の義父は陸軍士官学校を出て満洲に3年ほど赴任後、内地に戻り、なんと潜水艦に搭乗の予定だったとのことで、当時のことが書かれた戦記を生前残していますのでご紹介します。なぜ陸軍が潜水艦に?そこに当時の日本軍の実態が表れています

 

まず、なぜ陸軍が潜水艦に乗るか、これは戦地の陸軍に食料を輸送するためですが、常識的には海軍に運んでもらえば良いのですが、陸軍と海軍の仲が非常に悪く、しかも陸海空3軍を統括指揮する(これは名目上は首相か天皇の役目と思いますが)者がいなかったということです。(これではいくら優れた兵器に勇敢な兵士がいても戦争に勝てないでしょう)このあたりの状況を「丸」に寄稿した宇野元陸軍大尉の「陸軍潜水輸送艇ゆ8号艇の航跡」や「歴史読本432003.4.12」の写真などから引用すると、以下の通り。

 

陸軍潜水輸送艇「ゆ」8号艇の航跡

1.「陸軍は大陸に戦場を求め、糧秣は現地で調達を図るという悪い習慣があった。」大陸だけではない、南方の島々でも同様で、現地住民を襲って食料を強奪したので降伏後に住民から米軍に告げ口され戦犯としても追及された例が8月の新聞にも投稿されていた。

2. 陸軍専用の潜水艇を陸軍だけで設計、製造まで苦労の末、独自に行った。「これは戦史上でも前代未聞のことであり、ある意味では悲劇。」とある。

3.「戦術の失敗は戦術で補えるが、戦略の失敗は戦術で補うことができない」とあり、この点は陸軍に召集された私の実父も日本は戦術は強かったが戦略が下手だったと認めている。

 

陸軍潜水艦「ゆ」比島に出撃す(これは福山通運創始者の福山氏の記事とのこと)

1.昭和17年はガダルカナルに海軍潜水艦で輸送されたが相次ぐ海戦で忙殺された海軍とは別に陸軍独自に輸送を行うことになり、素人の陸軍は無駄が多かった。

2.18年12月に1号が進水以来、沖縄よりも北の島への輸送は成功したが4集ほどがフィリッピン方面へ出撃した時は撃沈された。

3.四国の伊予三島から山口県萩に回航して釜山との輸送準備にあたるため義父が艦長として搭乗予定だったが出航直前に終戦を迎えた。   15.10.14投稿