きのうのケーブルテレビでは戦艦武蔵で戦争を体験し生還した人たち10数人の証言を見ましたのでご紹介します。日本軍の実態を知ることができました。

武蔵は昭和19年にフィリピン沖(フィリピン沖海戦(現在の呼称はレイテ沖海戦))でアメリカの雷撃機、水平爆撃機、急降下爆撃機により数回にわたり繰り返し攻撃され、魚雷だけでも20本ほど命中弾を受け沈没しました。(筆者注:普通の船は魚雷1本で沈没。武蔵は大和の姉妹艦で現在まででも世界最大の戦艦)2日間にわたる戦闘で乗組員2390名余りの内、戦死約1000名、残りは伴走の駆逐艦等に救助されましたが、さらにその後はルソン島に上陸し、米軍との地上戦や、飢え、病気、けがの後遺症等で日本に帰還できたのは300名ほどとのことです。そのうち現在生存している人が200名ほどいて、その中からテレビ取材したものです。

1.   武蔵での体験

証言者1(対空機銃の射手):急降下爆撃機はほぼ垂直に機銃を掃射しながら降下してきてパイロットの顔がこちらから見えるほど接近してから250kg爆弾を投下していったが、敵もなかなかやるなと思った。こちらの撃った機銃弾が当たっても胴体や翼ではすぐには落ちないので撃墜できたかどうかは分からない。(筆者注:次々に後続機が連続して降下してくるから爆弾投下後に離脱した敵機の撃墜など確認しているひまはない)

証言者2:双発の水平爆撃機が多数こちらに向かっていると艦内放送を聞き、全身が震えた。(筆者注:これがいわゆる武者震いか?)

証言者3:最初の魚雷が命中した時は穴の開いた側と反対側の舷側のバラストタンクに海水を注水して魚雷で傾斜した艦を水平に戻し何事もなかったように航行を続けた。

証言者4250kg爆弾が命中した時は対空機銃が銃座ごと吹き飛んでしまった。(筆者注:銃座は数10基ぐらいあるはずだからその1部)空襲が度重なると後半戦ではあたりが血の海になり、血のりですべるから歩くこともできない。

証言者5(救護班):負傷者には治療はできず、ただ出血を止めるだけ。

証言者6:日が沈むころに沈没し始めたのでカッター(ボート)を降ろした。海中から泳いでいる私の足にしがみつかれたので蹴飛ばしてしまった。また全員がカッターに乗れないのに海中から乗り込もうとするので、ボートが沈んでは全員が死ぬから這い上がる兵士をオールでたたいて海に落とした。陸へ着くまでの間は乗れない人にはロープをつないでつかまらせたが、長時間では体が冷え脱落するから時々乗っている者が交代で海に入った。

2.   武蔵沈没後の地上戦での体験
証言者7:フィリピンのルソン島あたりに上陸し、日本軍の兵舎に入ったが食料がないので山芋を取って来て食べた。アメリカ軍がルソン島に上陸してきた時の激戦で元乗組員の半数以上が戦死。逃れることができた者も山中では飢えのため人肉を食った。また仲間の兵士でも憎まれている者には後ろから弾が飛んでくるかもと脅した。(筆者注:同じ話は私が定年まで勤めていた会社の人からも聞いた。彼の従軍中は上官に対してでも弾は前からだけじゃなく後ろからもくるぞと言ったそうです)

証言者8:日本への引き上げ途中も潜水艦で沈没させられ、犠牲者が出た。

証言者9:結局日本に無事帰還できたのは300名ほど。武蔵会という会合があり靖国神社に参拝したりしている。

 

生き残った人は勇気を出して当時の証言をすることにより、今まで生かされて来たことの使命を全うしたと思います。合掌。   15.9.4投稿 15.9.14赤字訂正  17.8.13青字改定