悔やまれるのは、低学年の頃からの国語拒絶の背景を今ほど読み取れなかったこと。
学校でも「様子をみましょう」だったし、
読み聞かせもたっぷりしてあげた幼児期があって、そのまま本は好きになっていたから、
本を読めば言葉が好きなるという(娘は本が好き)ことを信じていたから。
でも、読んでも記憶にものこってなければ、すごい雑にかいつまんで理解していて
全然文章をまともに読めていないと気付いたのもかなり後だった・・・。
そしてすべての学問も、世の中の情報も、その大半が活字だということ・・・。
壁です・・本当に。
しかも気づいたときは、
言葉への興味が薄く、より言葉に関するワーキングメモリが弱っていったのかもしれない。
そんな娘にも転機が。
受験という一つのやり方を通じて、
合格して目立ちてぇ~~~~?!(ピアノと根本的に発想が同じ)。
プライド高いから絶対に合格したい!と思っているところに
大好きな「得点」とか「レベル(偏差値)」とか、
数字情報が低いという現実が目の前にある。
しかも国語は特に避けて通れないという現実を最近はわかってきている。
強烈に興味のない言葉だけど、やらなきゃいけないか・・・みたいな。
あの子の言葉をのばすなら、いまだ!って思っています。
言葉、がんばろう、言葉!!
学校はこういったところに気づいてくれない。
テストがX点だった。間違え直しをしましょう。とはいってくれても、
そのX点が何が原因だったのか、たどっていくとどういうところに困難を抱えているのかまでは、
見られない。
当然といえば当然だけど、
入学式の段階で、
「人には少なからず特性があります。学習するスタイルも、感じ方も違います。
その特性を見極めて伸ばしていくために学校と家庭で連携しましょう。それが大人の役目です。」
とでも言っちゃう学校があったらすごい。
いっそのこと、wiscを全員やればいいのに!
といっても、そんな言葉を過去に投げかけられたとしても私が親として
その言葉の重みを受け止められる状況にいなかったようにも思う。
親になりたてのころ、「何でも普通にやればできる」そう思ってた面もある。
それに、
親だって十人十色。定型であればあるほど、学校に求めることは、
私とはかなり違うんじゃないかなって思う。
今だからわかる。
人の思考回路、見え方、感じ方、み~~~~~んな違うってこと。
言葉の操り力、伸ばすぞ~~~~~~~~~~~~~~~
ビジョントレーニングで視野を広げるのも忘れちゃいかんいかん・・・。
おまけ。
日常の雑多なことは、
気が散りやすい状況で、興味がないのだもの、もうあきらめの境地に近い。
メモするためのペンを忘れた、どこかで首からはずして無くした・・・こんなのしょっちゅう(笑)
人に迷惑をかけることだけはメモをしてなんとかやるのだ!
ここは亀の歩みでしょう。
ふぁみエールで教わったように、数字に強い娘に対しては、
「ペン持った?聞かれたら、世の中の人の評価は80点(あなたの中では100点でしょうが」
「いわれる前にもてたら、世の中の人の評価は100点」
こんな風に数値で表しはじめたくらい?!