
光と闇はもともと一つ
分けたのは人のほうだよ
こんばんは。
お風呂に入ってうっかり寝てしまい、鼻から水すいあげかけて
喉がいたいエムたけです。
聖☆おにいさんの新刊やっと読みました。爆笑しました。
マリア様が涙を流すのは、あんなシステムがあったからなんだねww
土日は、子供たちの行事満載。
次女の吹奏楽、三女の合唱部がそれぞれ近所の公民館祭りで
参加するのです。
アナトミーでまったく子供行事には出れなかったので、
この日をとても楽しみにしていたのですね~
がんばってね!応援してるww
さて、タイトル
「不思議なモノが視えること」
今でこそ
「あ、今ミカエルがここにいるよ」
「死んだじいちゃんが来てる。話したがってる」
「妖精さん、おはよう~ww」
「この天使はチョーイケメン」
などと、リリカルでファンシーなことを言ってますが。
私は臼井式レイキ、ライタリアンレイキ、大輪光氣と三つのレイキを
取得してますけど最後の大輪光氣セラピストを伝授してもらった段階でも
この、「視える」という感覚がよくわかりませんでした。
もともと霊感はありません。
直感はいいほうだと思ってましたが
それでもいわゆる普通の人、でした。
ただ、まったく不思議体験がなかったわけでなく
レイキを受ける前でしたが、前世の記憶を一つだけ見せてもらったことが
ありました。
それと幽霊の子供の手だけを見たことと。
視えたのはこの二件だけでした。
先日、事務員のこばちゃんに
「いつ頃視えるようになったんですか?そのきっかけは?」
と質問されました。
はい、実は大輪のマスターからティーチャーにかけてのとき、
一つ思ったのです。
自分が視たものは、すべて100%視たものとして信じよう。
たとえほかの人が「それは違う」と言っても
私が視たものは「すべて正しい」と思おう。
それがどんなものであれ、私が視たものは、私にとって真実なのだ、と。
ライタリアンのアチューメントをしたとき
はじめて「あぁこれが視えたってことかな?」な映像が視えたけど
どうにもこうにもしっくりきませんでした。
初めての体験なので自分の妄想なのか、本当に視えているのか
確信が持てなかったからです。
大輪を使い始めると、その頻度はぐっとあがりました。
そして、私にとって視たくないものも視えるようになりました。
「こんなものは視えなくてよかった……」と思えるようなものでした。
ある自分の前世の記憶を視せられたとき
声が聞こえました。
「あなたがこれから進もうとする道は、こんなものも視る道なのよ。
それを視る覚悟はできているの?」
視る、ということは
映像として視るだけでなく
感覚として感じるもの、聞こえてくるものも
私にとっては含まれています。
何を視てもただ認めてやること。
信じてやること。
受け入れて、愛すること。
光を流すこと。
闇のように見えても、そこに光を視ること。
自分が嫌だなぁ、と思った視えたモノたち。
それも回数重ねるとさすがに慣れてきて
自分の中での加害者、被害者、光と闇が統合されていき
そのうえで
私が視たものは私自身。
私は私をただ信じよう。
に、至りました。
そうすると、一気に視えるという行為が加速しはじめ
自信がつきはじめたのです。
自信って、そのまま自分を信じるってことなんですよね。
それがついこの前の話です。
半年くらい前のことなのです。
「どうしてそんなふうに視えるようになったの?」と
よく聞かれるようになりました。
「本当に視えなかったのよ。でもただ自分を信じただけなのよ」
そう答えます。
視えないと思ってた時期が長かったぶん、視えないという人の気持ちは
よくわかります。
本当はね、みんな視えてるのよね。
私も最初は光や色くらいしかわからなかった。
みんな、私がこう視えたよ、感じたよ、といった言葉は
素直にすぐ信じてくださるのです。
他人の言葉は信じるのに、どうして自分の視たものは信じようとしないの?
理由は様々あります。
でも、ちゃんといつかその理由がほどけて
「あぁこういうことだったのか!」と視えることに自信がつく日がくるのです。
きっと、きます。
だからあきらめずに、ただ視ようとしてみてください。
何が視えても怖がらず、ただ抱きしめてあげてください。
視えない自分に愛を注いでください。
愛があふれたら、視えた!って自信もって言える瞬間がきます。
そこから世界がかわります。
不思議なほどに
「あぁこれがふつうの世界だったんだなぁ」って思えてくるのです。
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