シータヒーリング基礎DNAの実践中、私は肩の痛みをとりあげました。

右肩に、時折痛みがあったのです。
それも不意に突然。
肩こりは昔からよくありましたが、ここ最近はいろんな方との
つながりから?痛みを感じていたのです。

人の痛みを、自分の痛みとして感じてしまう。
そんな体験をたまにしていたのですが
過去世の話をしていても、その痛みがぎりぎりくるので
なんだろう、これ……って思っていたのですね。

痛みを最初に感じたのいつか?
どんな時なのか?
その時、どんな気持ちだったのか?
掘り下げをしていき、とうとう赤ちゃんの頃まで戻っていきました。

私達の世代は、「抱き癖をつけてはいけない」という育児法が
まかりとおっていたので、どんなに赤ちゃん(私)が泣いても
母親は抱くのを我慢していたそうです。

泣いて泣いてお母さんを呼ぶのに、お母さんは来てくれない。
私は独りぼっち。
このまま誰にも見向きもされず、死んでしまう………

そうしたら?

「死んでしまって、最悪どうなりますか?」

葬式を出されて、『あぁあの子はこんな子だったよね』なんて
話をされるんだ………
法事がくりかえされ、そのたびに私のことを
思い出されるんだ。


それが、いやだと思っているのです。
そう、みんなの話題にのぼることが。

死んでしまった私。
死んでしまったことで、みんなに迷惑かけたから、いやなのではなく。

死んでしまった赤ちゃん。
世間体を気にして、いやなのではなくて。


なかなか、私の本当の土台が出てこなくて
なんだろう、なんだろう??と思いました。

独りぼっちで死んでいくの、怖いよね。
いやだよね、寂しいよね?
自問自答を繰り返し、ふと気が付いた自分の考え方の癖。


私は、独りになることは、怖くないの。
独りで死んでいくのは、むしろ嬉しいの。
だって、みんなから相手にされないじゃない。

自分が死んだとき、お葬式を出されるのは、想像しただけで、嫌でした。
みんな忙しいのに、自分のためにわざわざ来てもらうなんて
そんなこと、しないで。
お墓を作ってもらうのも、嫌でした。
お墓なんて作ったら、墓参りをしなくちゃならない気分になるでしょう?
自分の死後、そんなことして生きている人を縛りたくないの。
残りわずかな命の火を精いっぱい輝かすように、死と向き合った方々が
自分の日記や小説を残していくのは、理解できませんでした。
私だったらそんなものは、残せない。
永久ではないにしろ、自分が生きてきた証なんて残しておくなんて
私には拷問にも等しい。

生きていた証なんて、どうして残そうとするの?
そう思っていたのです。


そうだ。
私が本当に怖かったのは。

みんなから、愛されることが怖かったの。

「私は愛を知らない」
そんな言葉が、ふと口をついて自然に出ました。

かなりびっくり☆
そんなこと、思ってたなんて!

そこが土台だね~!ということで、
テストしてみたら、やっぱり「知らなかった」んです。私。
すぐに「私は愛というものを知っているという感覚、感情」を
呼び覚ましてもらいました。
わーーーん、ありがとう~~~!!



この肩の痛みは、なかなかやっかいで。
その後も何度も自分で掘り下げをし、置き換えをしているのですが
過去世がらみのものも多いようです。

まだまだ何かあるようなのね。
数聴くと、52こあるみたい。
過去世の解決するべき問題の数が、52。だってさ。笑
痛みを感じなくても、問題を解決することができるって思うんだけどね^^

ま、じっくりつきあっていきましょう!



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