こんにちは~♪
ご訪問ありがとうございます。
ヤフー社員自らが企画して、石巻に作った、最先端コワーキングスペース
「とーちゃんが1人でみやぎに行くのはかわいそうだから、ぼくはついて行く」
2012年6月、ヤフーの復興支援事業の拠点となる「ヤフー石巻復興ベース」の設置と、ヤフー社員がそこに常駐することが決まったときのこと。
単身赴任するか家族で移住するか、それとも調整役として東京に残るか、父親である僕がまだ決めかねていた頃、春に入学したばかりの小学1年生の息子が生意気にもこのように宣言した。
僕の家族は、奥さんと小学1年生、幼稚園の子ども2人。「石巻に勤務するかもしれない」という話が出たときから、これからどうするか家族で相談していた。
一度は、いっちょまえに「ひっこすかどうかなやんでいる」と言っていた息子。
その子が「とーちゃんについていく」と奥さんに告げたと聞いて、自分の息子に背中を押される日がこんなにも早く来るなんて……と思った。
そしてうちの奥さん。もともと彼女は日本中をバイクで点々とする旅人だったので、フットワークが軽い。
子どもが生まれる前は、僕と屋久島までツーリングに行ったり、毎年、全国の旅人が集結する青森ねぶた祭に顔を出したりしていた。
子どもがある程度大きくなった後も、車にテントを積み、家族4人で1週間くらい東北を野宿して回ったこともあった。
だから僕たちは東北に親しみがあったし、地方に対する抵抗感もなかった。
社長の宮坂も言っていた。「迷ったらワイルドなほうを選べ」、と。
「よし、みんなで行くぞーー!」
そう決まると、これで完璧にどっぷりと石巻に浸かることができる、とますます気合が入った。
唯一、転校先で子供がなじめなかったりするのでは、と気になっていたが、そんな心配は無用だった。
息子はすぐに周囲に打ち解けて、さっそく東北弁に“なまって”、今や見事なバイリンガルだ。
子供の順応性には本当に感心する。
■どうせやるなら、コワーキングスペース!
こうして始まった石巻での生活。家族で住むアパート探しも大変だったが、いま僕が1日の大半を過ごしているオフィス、「ヤフー石巻復興ベース」完成までにも、紆余曲折があった。
具体的にどういうオフィスにするか、須永(浩一・復興支援室長)と僕は話し合いを重ねていた。石巻で行った座談会で発表した壮大な企画を実現するため、ぜひとも新たな産業やIT人材を育成できる場にしたいと思っていたのだ。
そんなとき、僕らの頭に浮かんだのが、近年注目されている「コワーキングスペース」の存在だ。
「コワーキングスペース」とは、フリーランスのエンジニアや起業家などのノマド族が集まり、個々人の仕事以外に、アイデアや情報を交換したりコラボレーションを模索したりして相乗効果をはかるコミュニティだ。
近頃は、都内にいくつもの「コワーキングスペース」が誕生し、一大ブームになっている。
そこで、さっそく渋谷の「co-ba(コーバ)」や、ヒカリエの中にある「MOV」などに足を運び、アドバイスをもらった。
原宿の「THE SHARE」を訪問する際には、入居予定のビルのオーナーである三陸河北新報社の西川善久社長にも、はるばる見学に来ていただいた。
そもそも地方紙を発行する同社のビル1階を貸してもらえる話になったのは、西川社長と東日本復興支援財団専務理事の荒井優さんが知り合いだったことによる。
荒井さんはソフトバンク社長室勤務の傍ら、東日本復興支援財団の専務理事という肩書を持つ。人と人をつなげる達人だ。
今回も東北の多くのキーマンを紹介してくれ、石巻支社の設立にも尽力してくれた。
僕と荒井さんは震災後、同じソフトバンクグループということもあり個人的なNPO活動でも一緒になる機会が何度かあった。うちの副社長・川邊とも学生時代からの友人である。
実は当初、「ヤフー石巻復興ベース」は、現在の道路側に面したスペースではなく、ビル奥に位置する、目立たない部屋に入る予定だった。
しかし、それではコワーキングスペースの存在に気づいてもらえない。
そこで目立つ場所への変更をお願いしたのだが、河北新報という東北随一の新聞社の入り口に、人が頻繁に出入りする「コワーキングスペース」を設けようというのだから、相応の理解を得る必要があった。
■IT企業では、前代未聞?
「東京ではこういう“コワーキングスペース”は普通なんですよ」
ときには、そんな誇張を交えた説明もして(西川社長、スミマセン)、無事、了承を得ることができたのは、荒井さんのおかげも大きい。
考えてみれば、転勤することになった社員が、その支社の場所探しから内装まで一から考えるという状況も、かなり珍しいことだろう。
「コワーキングスペース」のように、誰でも出入りできるオープンな環境は、通常のヤフーのセキュリティではありえない。
六本木の本社では、部外者は申請許可がない限りなかなか入室できないし、行きたい場所にたどりつくためにエレベーターを何度も乗り換えることすらある。警備員もたくさん立っていて、外部の人からは、まるで厳戒態勢を敷いているようにも見えるかもしれない。
ヤフーに限らず、今の時代のIT企業においては、気軽に入所できる“ウォークイン・ウォークアウト”なオフィスを作るのは前代未聞だと思う。同業者なら誰でもビックリするはずだ。
そういう意味で、「ヤフー石巻復興ベース」はヤフーの中でも最先端のオフィスと言ってもいいかもしれない。
しかし、新たに作る「ヤフー石巻復興ベース」を、僕らは石巻の若い人が積極的に交流し、何かを生み出すような社交的なスペースに、どうしてもしたかった。そこで、社内外にその意図を説明して回った。
そして、Wi-Fiで社内専用ネットワークを飛ばしてもらい、ゲスト用の無線LANと分けたり、一部、施錠するエリアを作ったりと、一定のルールを設けることを条件に、なんとか了承を得ることになったのだった。
最終的な施工・工事に関してはすべて須永が担当してくれた。設計については、ヤフーの施設管理の部署とやり取りを重ねて進めていった。
「コワーキングスペース」のようなユニークなオフィスに、ヤフーの施設管理の人も興味津々だったようだ。面白がってノリノリでかかわってくれる社員が多かったのは、ありがたいことだった。
また同時に、大勢の人が集まったとき、共同作業をしやすい環境も整えていった。
新オフィスの広さは共有部分を含めて約120平方メートルあるが、開放的な空間にするため間仕切りをあえて設けず、ミーティングスペースはすぐにアイデアが書けるように壁一面をホワイトボードにした。
さらにカフェやキッチンをイメージしたエリアを設けて、ステンレスのテーブルを置いて、冷蔵庫や冷凍庫などもフル装備した。
人の脳みそがいちばん柔らかくなって、いいアイデアが生まれるのは、みんなでお茶をしたりご飯を食べているときーー。「コワーキングスペース」の事前リサーチをする中でそう知ったからだ。
■家具だって、何でもいいわけじゃない
オフィスのテーブルや椅子に関しては、僕は事前に作戦を練っていた。通常、オフィス家具メーカーに発注しそうなところ、地元メーカーの家具を依頼するよう、話をもっていったのだ。
「いいね。新しいオフィスは全部この家具にしなよ」
社長・宮坂にそう言ってもらえるように、ヤフー幹部たちが石巻を訪れたとき、地元で家具を作っている「石巻工房」を見学コースにさりげなく入れておいた。
手作りならではの味わい深いテーブルやソファだから、ひと目見たら気に入ってもらえるだろうという確信があったからこそのことだ。
ちなみに今、六本木のヤフー本社の受付ロビーにある色とりどりのソファも、すべて「石巻工房」のものだ。
こうして誕生した「石巻復興ベース」は、いろいろと工夫をしたかいあって、自然と人が集うオフィスとなっている。
入口付近は駐車場だったのだが、オフィスの考えに共感してくれた三陸河北新報社の西川社長がウッドデッキやベンチ、時計台まで備えてくれた。
もちろん、ぴかぴかのオフィスの中に閉じこもっている僕らではない。「地域に溶け込もう」という須永の方針で、石巻に移住してからは毎朝、ビルの周囲でゴミ拾いをしている。そうしながら、地元の人たちと自然とあいさつを交わしつつ、少しでも地域に溶け込めるよう、地道かつ地味な活動を続けている。
東京のオフィスでは、内部の掃除も業者さんにお任せしていたが、ここではそれも自分たちで行っている。これは意外といい経験で、地元の生活やリズムに近づくためにすごく役に立っていると感じる。
■地元のお母さんから、石巻市長までが集う場に
正直、「コワーキングスペース」という単語自体は、東北ではそんなに浸透していないが、それでも「面白い場所があるから、使ってみようか」という人はどんどん増えていっている。
ここを、正式な自分の事務所として登録する人まではまだ現れていないが、それでも、東北の支援にかかわる仕事をしている人たちがつねに出入りする。いつもオフィスには打ち合わせする声、そして笑い声が絶えない。
オフィスに出入りする面々は、実にさまざまだ。石巻のお母さんのためにパソコン教室が開かれたり、週に2回、NPOのカタリバという団体が教育支援の一環でスカイプを使って、フィリピンの若い先生との英会話レッスンを高校生に提供したりもしていた。
キッチン用のテーブルもよく使っていただいている。仮設住宅のおばちゃんが石巻の郷土料理を作るイベントを開いたり、「復興デパートメント」で搬入した 食材を使い、みんなで料理して食べることも多い。そしてそこから、新しい企画が生まれることもたびたびある。
コワーキングスペースの夜は長い。夜になると、三陸河北新報社の重鎮たちや、なんと石巻の亀山市長までもがやって来て、みんなでワイワイ飲むこともある。肩書や年齢もさまざまな人々が、気軽に足を運んでくれる場になっているのは、ありがたいことだ。
東北ではまだまだ珍しい「コワーキングスペース」の機能を持つ「ヤフー石巻復興ベース」は、このようにさまざまな形で活用が進んでいる。
冷蔵庫も冷凍庫も、レンジも炊飯器も魚焼き器も、地元のお酒やなぜか泡盛、そして寝心地最高のソファーもあり、テレビはもちろんダーツまであるので、もはや住めてしまうのですよ。ここにお風呂があったら、われら石巻メンバー、もう家に帰らないな、きっと……。
(構成:渡部由美子)
すべてのトピックスをみる -
livedoor トップページ
今日のできごと話題のニュース
外部サイト
「石巻2.0」が挑む、復興3年目のまちづくり復興支援3年目、ヤフー社員の"決意表明"ヤフー社員が、”弁当屋”になったワケ関連ワード:ヤフー コワーキング 復興支援 河北新報
http://news.livedoor.com/article/detail/7548416/
※この記事の著作権は配信元に帰属します
ご訪問ありがとうございます。
ヤフー社員自らが企画して、石巻に作った、最先端コワーキングスペース
「とーちゃんが1人でみやぎに行くのはかわいそうだから、ぼくはついて行く」
2012年6月、ヤフーの復興支援事業の拠点となる「ヤフー石巻復興ベース」の設置と、ヤフー社員がそこに常駐することが決まったときのこと。
単身赴任するか家族で移住するか、それとも調整役として東京に残るか、父親である僕がまだ決めかねていた頃、春に入学したばかりの小学1年生の息子が生意気にもこのように宣言した。
僕の家族は、奥さんと小学1年生、幼稚園の子ども2人。「石巻に勤務するかもしれない」という話が出たときから、これからどうするか家族で相談していた。
一度は、いっちょまえに「ひっこすかどうかなやんでいる」と言っていた息子。
その子が「とーちゃんについていく」と奥さんに告げたと聞いて、自分の息子に背中を押される日がこんなにも早く来るなんて……と思った。
そしてうちの奥さん。もともと彼女は日本中をバイクで点々とする旅人だったので、フットワークが軽い。
子どもが生まれる前は、僕と屋久島までツーリングに行ったり、毎年、全国の旅人が集結する青森ねぶた祭に顔を出したりしていた。
子どもがある程度大きくなった後も、車にテントを積み、家族4人で1週間くらい東北を野宿して回ったこともあった。
だから僕たちは東北に親しみがあったし、地方に対する抵抗感もなかった。
社長の宮坂も言っていた。「迷ったらワイルドなほうを選べ」、と。
「よし、みんなで行くぞーー!」
そう決まると、これで完璧にどっぷりと石巻に浸かることができる、とますます気合が入った。
唯一、転校先で子供がなじめなかったりするのでは、と気になっていたが、そんな心配は無用だった。
息子はすぐに周囲に打ち解けて、さっそく東北弁に“なまって”、今や見事なバイリンガルだ。
子供の順応性には本当に感心する。
■どうせやるなら、コワーキングスペース!
こうして始まった石巻での生活。家族で住むアパート探しも大変だったが、いま僕が1日の大半を過ごしているオフィス、「ヤフー石巻復興ベース」完成までにも、紆余曲折があった。
具体的にどういうオフィスにするか、須永(浩一・復興支援室長)と僕は話し合いを重ねていた。石巻で行った座談会で発表した壮大な企画を実現するため、ぜひとも新たな産業やIT人材を育成できる場にしたいと思っていたのだ。
そんなとき、僕らの頭に浮かんだのが、近年注目されている「コワーキングスペース」の存在だ。
「コワーキングスペース」とは、フリーランスのエンジニアや起業家などのノマド族が集まり、個々人の仕事以外に、アイデアや情報を交換したりコラボレーションを模索したりして相乗効果をはかるコミュニティだ。
近頃は、都内にいくつもの「コワーキングスペース」が誕生し、一大ブームになっている。
そこで、さっそく渋谷の「co-ba(コーバ)」や、ヒカリエの中にある「MOV」などに足を運び、アドバイスをもらった。
原宿の「THE SHARE」を訪問する際には、入居予定のビルのオーナーである三陸河北新報社の西川善久社長にも、はるばる見学に来ていただいた。
そもそも地方紙を発行する同社のビル1階を貸してもらえる話になったのは、西川社長と東日本復興支援財団専務理事の荒井優さんが知り合いだったことによる。
荒井さんはソフトバンク社長室勤務の傍ら、東日本復興支援財団の専務理事という肩書を持つ。人と人をつなげる達人だ。
今回も東北の多くのキーマンを紹介してくれ、石巻支社の設立にも尽力してくれた。
僕と荒井さんは震災後、同じソフトバンクグループということもあり個人的なNPO活動でも一緒になる機会が何度かあった。うちの副社長・川邊とも学生時代からの友人である。
実は当初、「ヤフー石巻復興ベース」は、現在の道路側に面したスペースではなく、ビル奥に位置する、目立たない部屋に入る予定だった。
しかし、それではコワーキングスペースの存在に気づいてもらえない。
そこで目立つ場所への変更をお願いしたのだが、河北新報という東北随一の新聞社の入り口に、人が頻繁に出入りする「コワーキングスペース」を設けようというのだから、相応の理解を得る必要があった。
■IT企業では、前代未聞?
「東京ではこういう“コワーキングスペース”は普通なんですよ」
ときには、そんな誇張を交えた説明もして(西川社長、スミマセン)、無事、了承を得ることができたのは、荒井さんのおかげも大きい。
考えてみれば、転勤することになった社員が、その支社の場所探しから内装まで一から考えるという状況も、かなり珍しいことだろう。
「コワーキングスペース」のように、誰でも出入りできるオープンな環境は、通常のヤフーのセキュリティではありえない。
六本木の本社では、部外者は申請許可がない限りなかなか入室できないし、行きたい場所にたどりつくためにエレベーターを何度も乗り換えることすらある。警備員もたくさん立っていて、外部の人からは、まるで厳戒態勢を敷いているようにも見えるかもしれない。
ヤフーに限らず、今の時代のIT企業においては、気軽に入所できる“ウォークイン・ウォークアウト”なオフィスを作るのは前代未聞だと思う。同業者なら誰でもビックリするはずだ。
そういう意味で、「ヤフー石巻復興ベース」はヤフーの中でも最先端のオフィスと言ってもいいかもしれない。
しかし、新たに作る「ヤフー石巻復興ベース」を、僕らは石巻の若い人が積極的に交流し、何かを生み出すような社交的なスペースに、どうしてもしたかった。そこで、社内外にその意図を説明して回った。
そして、Wi-Fiで社内専用ネットワークを飛ばしてもらい、ゲスト用の無線LANと分けたり、一部、施錠するエリアを作ったりと、一定のルールを設けることを条件に、なんとか了承を得ることになったのだった。
最終的な施工・工事に関してはすべて須永が担当してくれた。設計については、ヤフーの施設管理の部署とやり取りを重ねて進めていった。
「コワーキングスペース」のようなユニークなオフィスに、ヤフーの施設管理の人も興味津々だったようだ。面白がってノリノリでかかわってくれる社員が多かったのは、ありがたいことだった。
また同時に、大勢の人が集まったとき、共同作業をしやすい環境も整えていった。
新オフィスの広さは共有部分を含めて約120平方メートルあるが、開放的な空間にするため間仕切りをあえて設けず、ミーティングスペースはすぐにアイデアが書けるように壁一面をホワイトボードにした。
さらにカフェやキッチンをイメージしたエリアを設けて、ステンレスのテーブルを置いて、冷蔵庫や冷凍庫などもフル装備した。
人の脳みそがいちばん柔らかくなって、いいアイデアが生まれるのは、みんなでお茶をしたりご飯を食べているときーー。「コワーキングスペース」の事前リサーチをする中でそう知ったからだ。
■家具だって、何でもいいわけじゃない
オフィスのテーブルや椅子に関しては、僕は事前に作戦を練っていた。通常、オフィス家具メーカーに発注しそうなところ、地元メーカーの家具を依頼するよう、話をもっていったのだ。
「いいね。新しいオフィスは全部この家具にしなよ」
社長・宮坂にそう言ってもらえるように、ヤフー幹部たちが石巻を訪れたとき、地元で家具を作っている「石巻工房」を見学コースにさりげなく入れておいた。
手作りならではの味わい深いテーブルやソファだから、ひと目見たら気に入ってもらえるだろうという確信があったからこそのことだ。
ちなみに今、六本木のヤフー本社の受付ロビーにある色とりどりのソファも、すべて「石巻工房」のものだ。
こうして誕生した「石巻復興ベース」は、いろいろと工夫をしたかいあって、自然と人が集うオフィスとなっている。
入口付近は駐車場だったのだが、オフィスの考えに共感してくれた三陸河北新報社の西川社長がウッドデッキやベンチ、時計台まで備えてくれた。
もちろん、ぴかぴかのオフィスの中に閉じこもっている僕らではない。「地域に溶け込もう」という須永の方針で、石巻に移住してからは毎朝、ビルの周囲でゴミ拾いをしている。そうしながら、地元の人たちと自然とあいさつを交わしつつ、少しでも地域に溶け込めるよう、地道かつ地味な活動を続けている。
東京のオフィスでは、内部の掃除も業者さんにお任せしていたが、ここではそれも自分たちで行っている。これは意外といい経験で、地元の生活やリズムに近づくためにすごく役に立っていると感じる。
■地元のお母さんから、石巻市長までが集う場に
正直、「コワーキングスペース」という単語自体は、東北ではそんなに浸透していないが、それでも「面白い場所があるから、使ってみようか」という人はどんどん増えていっている。
ここを、正式な自分の事務所として登録する人まではまだ現れていないが、それでも、東北の支援にかかわる仕事をしている人たちがつねに出入りする。いつもオフィスには打ち合わせする声、そして笑い声が絶えない。
オフィスに出入りする面々は、実にさまざまだ。石巻のお母さんのためにパソコン教室が開かれたり、週に2回、NPOのカタリバという団体が教育支援の一環でスカイプを使って、フィリピンの若い先生との英会話レッスンを高校生に提供したりもしていた。
キッチン用のテーブルもよく使っていただいている。仮設住宅のおばちゃんが石巻の郷土料理を作るイベントを開いたり、「復興デパートメント」で搬入した 食材を使い、みんなで料理して食べることも多い。そしてそこから、新しい企画が生まれることもたびたびある。
コワーキングスペースの夜は長い。夜になると、三陸河北新報社の重鎮たちや、なんと石巻の亀山市長までもがやって来て、みんなでワイワイ飲むこともある。肩書や年齢もさまざまな人々が、気軽に足を運んでくれる場になっているのは、ありがたいことだ。
東北ではまだまだ珍しい「コワーキングスペース」の機能を持つ「ヤフー石巻復興ベース」は、このようにさまざまな形で活用が進んでいる。
冷蔵庫も冷凍庫も、レンジも炊飯器も魚焼き器も、地元のお酒やなぜか泡盛、そして寝心地最高のソファーもあり、テレビはもちろんダーツまであるので、もはや住めてしまうのですよ。ここにお風呂があったら、われら石巻メンバー、もう家に帰らないな、きっと……。
(構成:渡部由美子)
すべてのトピックスをみる -
livedoor トップページ
今日のできごと話題のニュース
外部サイト
「石巻2.0」が挑む、復興3年目のまちづくり復興支援3年目、ヤフー社員の"決意表明"ヤフー社員が、”弁当屋”になったワケ関連ワード:ヤフー コワーキング 復興支援 河北新報
http://news.livedoor.com/article/detail/7548416/
※この記事の著作権は配信元に帰属します