京急にレールが3本ある区間がある。
金沢文庫と金沢八景の間から京急逗子線神武寺まで。
金沢八景駅ホームにて…

金沢八景駅から上り品川方面へ向かってポイントがある。

品川方面へ向かって左に大きく曲がる。

金沢文庫と金沢八景の間には鉄道車輌製造工場のJR東日本の総合車輌製作所がある。
昔の東急車輌である。
東急は車輌製造部門をJR東日本に売却したのである。
その総合車輌製作所からレールが京急のレールと繋がっている。
神武寺から先は狭い方のレールがトンネルに入り、横須賀線の逗子方面へ抜ける。
京急のレールの規格は標準軌。
1,435㎜(4フィート8.5インチ)で都営浅草線、京成線、北総線、芝山鉄道線も同じ。
JRの各新幹線も標準軌である。
仮に京急や都営浅草線、京成線が交流電化したら新幹線が京急を走り抜くことは全く不可能ではない。
JRの在来線、東急(世田谷線を除く)、小田急、西武、東武、相鉄、東京メトロは日比谷線、半蔵門線、千代田線、南北線、副都心線、有楽町線、京王井の頭線、都営地下鉄三田線などは狭軌(1,067㎜(3フィート6インチ))で、多くの鉄道会社が採用している。
この日本における狭軌はイギリスから伝わった。
日本で最初の鉄道は新橋~横浜間。
正確には汐留から横浜の赤レンガ辺りにて開通した。
日本初の鉄道はイギリスの技術者の指導の下、狭軌で開通した。
開通当時は運賃は庶民的ではなかったらしい。
東京と横浜港を結び、輸出入の貨物や海外に渡航する旅客を運ぶ意味合いが強かったようだ。
現代の首都圏で例えるならば、成田エクスプレスや京成スカイライナーみたいな役割か?
標準軌は馬車鉄道や路面電車に採用される。
馬車軌間という規格もある。
1,372㎜を採用するのは京王井の頭線を除く京王線、都営新宿線、東急世田谷線、都営荒川線などである。
馬車軌間の京王線は元々は路面電車、調布辺りは住宅の軒を貫くようにカーブを走る。
京王高尾線は御陵線の歴史もある。
都営新宿線は京王線と乗り入れするために馬車軌間に合わせた。
路面電車は東急世田谷線は玉電である。
二子玉川近くに玉川堤があるが、玉川線の名残、二子玉川から大山街道(国道246号)を路面電車が走っていた。
今は渋谷から中央林間まで田園都市線に統一されたが、昔は二子玉川から渋谷は新玉川線となっていた。
都営荒川線は都内唯一の路面電車である。
神奈川県の路面電車、唯一残っているのは江ノ電である。
腰越から江の島の短い区間だが、江ノ電の軌間は狭軌であるのは面白い。
さて総合車輌製作所から製造された車輌、京急は出来立てほやほやをそのまま京急久里浜にある車輌基地へ、京急ファインテックという整備会社が整備する。
他の標準軌採用の鉄道会社の車輌は狭軌の仮台車を付けてJRで回送輸送するか、陸送、海運する。
新幹線車輌の場合は陸送や海運する。
京急線の終電後、総合車輌製作所から製造された鉄道車輌を総合車輌製作所のディーゼル機関車が京急逗子線を経由して神武寺から横須賀線へ。
横須賀線からはJR貨物が所有する機関車で各鉄道会社や最寄りまで輸送する。
専門用語では甲種回送という。
東急の車輌を金沢八景から輸送した場合、ルートは八王子に向かい、横浜線を長津田まで、長津田の検車区に納められ整備される。
金沢八景から京急逗子線神武寺までのレール3本区間はそのためである。
神奈川県にレール3本区間は以前は小田原から箱根湯本まであった。
小田急が箱根湯本まで乗り入れ、箱根登山鉄道が小田原まで乗り入れていた。
現在、小田原から入生田までは狭軌のみ、小田原から箱根湯本は箱根登山鉄道とはいえ、車輌は小田急が整備、管理する小田急1000系を箱根登山鉄道仕様にしたもの、海老名の車輌基地にこの箱根登山鉄道仕様の1000系がよく留置されている。
入生田には箱根登山鉄道の車輌基地がある。
小田急は狭軌、箱根登山鉄道は標準軌。
現在は入生田から箱根湯本までが3本区間。
小田急は現在、箱根登山鉄道に乗り入れしているのは特急ロマンスカーのみになってしまった。
過去には京急にもうひとつ、3本区間があった。
京急大師線である。
小島新田から味の素の工場まで、恐らく現在の神奈川臨海鉄道(貨物鉄道会社)だと思うが、塩浜辺りから貨物輸送をしていたらしい。
その名残は川崎大師駅から味の素の工場を窺うとわかる。
今やレールの名残は全くなくとも引込線の名残はある。
鉄道の歴史や鉄道の遺産は近代史を学ぶには重要であると思う。
近代史、学ぶ材料は足下にあるやもしれぬ。
金沢文庫と金沢八景の間から京急逗子線神武寺まで。
金沢八景駅ホームにて…

金沢八景駅から上り品川方面へ向かってポイントがある。

品川方面へ向かって左に大きく曲がる。

金沢文庫と金沢八景の間には鉄道車輌製造工場のJR東日本の総合車輌製作所がある。
昔の東急車輌である。
東急は車輌製造部門をJR東日本に売却したのである。
その総合車輌製作所からレールが京急のレールと繋がっている。
神武寺から先は狭い方のレールがトンネルに入り、横須賀線の逗子方面へ抜ける。
京急のレールの規格は標準軌。
1,435㎜(4フィート8.5インチ)で都営浅草線、京成線、北総線、芝山鉄道線も同じ。
JRの各新幹線も標準軌である。
仮に京急や都営浅草線、京成線が交流電化したら新幹線が京急を走り抜くことは全く不可能ではない。
JRの在来線、東急(世田谷線を除く)、小田急、西武、東武、相鉄、東京メトロは日比谷線、半蔵門線、千代田線、南北線、副都心線、有楽町線、京王井の頭線、都営地下鉄三田線などは狭軌(1,067㎜(3フィート6インチ))で、多くの鉄道会社が採用している。
この日本における狭軌はイギリスから伝わった。
日本で最初の鉄道は新橋~横浜間。
正確には汐留から横浜の赤レンガ辺りにて開通した。
日本初の鉄道はイギリスの技術者の指導の下、狭軌で開通した。
開通当時は運賃は庶民的ではなかったらしい。
東京と横浜港を結び、輸出入の貨物や海外に渡航する旅客を運ぶ意味合いが強かったようだ。
現代の首都圏で例えるならば、成田エクスプレスや京成スカイライナーみたいな役割か?
標準軌は馬車鉄道や路面電車に採用される。
馬車軌間という規格もある。
1,372㎜を採用するのは京王井の頭線を除く京王線、都営新宿線、東急世田谷線、都営荒川線などである。
馬車軌間の京王線は元々は路面電車、調布辺りは住宅の軒を貫くようにカーブを走る。
京王高尾線は御陵線の歴史もある。
都営新宿線は京王線と乗り入れするために馬車軌間に合わせた。
路面電車は東急世田谷線は玉電である。
二子玉川近くに玉川堤があるが、玉川線の名残、二子玉川から大山街道(国道246号)を路面電車が走っていた。
今は渋谷から中央林間まで田園都市線に統一されたが、昔は二子玉川から渋谷は新玉川線となっていた。
都営荒川線は都内唯一の路面電車である。
神奈川県の路面電車、唯一残っているのは江ノ電である。
腰越から江の島の短い区間だが、江ノ電の軌間は狭軌であるのは面白い。
さて総合車輌製作所から製造された車輌、京急は出来立てほやほやをそのまま京急久里浜にある車輌基地へ、京急ファインテックという整備会社が整備する。
他の標準軌採用の鉄道会社の車輌は狭軌の仮台車を付けてJRで回送輸送するか、陸送、海運する。
新幹線車輌の場合は陸送や海運する。
京急線の終電後、総合車輌製作所から製造された鉄道車輌を総合車輌製作所のディーゼル機関車が京急逗子線を経由して神武寺から横須賀線へ。
横須賀線からはJR貨物が所有する機関車で各鉄道会社や最寄りまで輸送する。
専門用語では甲種回送という。
東急の車輌を金沢八景から輸送した場合、ルートは八王子に向かい、横浜線を長津田まで、長津田の検車区に納められ整備される。
金沢八景から京急逗子線神武寺までのレール3本区間はそのためである。
神奈川県にレール3本区間は以前は小田原から箱根湯本まであった。
小田急が箱根湯本まで乗り入れ、箱根登山鉄道が小田原まで乗り入れていた。
現在、小田原から入生田までは狭軌のみ、小田原から箱根湯本は箱根登山鉄道とはいえ、車輌は小田急が整備、管理する小田急1000系を箱根登山鉄道仕様にしたもの、海老名の車輌基地にこの箱根登山鉄道仕様の1000系がよく留置されている。
入生田には箱根登山鉄道の車輌基地がある。
小田急は狭軌、箱根登山鉄道は標準軌。
現在は入生田から箱根湯本までが3本区間。
小田急は現在、箱根登山鉄道に乗り入れしているのは特急ロマンスカーのみになってしまった。
過去には京急にもうひとつ、3本区間があった。
京急大師線である。
小島新田から味の素の工場まで、恐らく現在の神奈川臨海鉄道(貨物鉄道会社)だと思うが、塩浜辺りから貨物輸送をしていたらしい。
その名残は川崎大師駅から味の素の工場を窺うとわかる。
今やレールの名残は全くなくとも引込線の名残はある。
鉄道の歴史や鉄道の遺産は近代史を学ぶには重要であると思う。
近代史、学ぶ材料は足下にあるやもしれぬ。