ちびまる子ちゃんとサザエさんには共通点がある。
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らす(サザエさんの場合はたらちゃんにしてみれば波平さんとお舟さんがおじいちゃん、おばあちゃん)、また近所の付き合いや繋がりが大切に描かれている。
サザエさんは昭和を昭和の時代に描かれているが、ちびまる子ちゃんは昭和を平成の時代を通じて描かれている。
またちびまる子ちゃんの場合は静岡市清水を舞台に地域性まで描かれている。
ちびまる子ちゃんはあのバブルの時代からヒットしたのは昭和の古きよきものがバブルの時代には既に失われていたからではなかろうか?
バブルの時代、豊かさはあっても家族や近所の付き合いや繋がりが希薄になっていたはずだ。
日曜日の夕方6時からちびまる子、6時半からサザエさんと家族が揃い夕食を交えながら楽しめる。
日曜日はお父さん、お母さん、子ども(子ども兄弟)が揃う家庭も多かろう。
おじいちゃん、おばあちゃんがいたら一番賑やかな時間でなかろうか?
日曜日、遠くに出掛けなくてもちびまる子ちゃんやサザエさんの中では近所を大切に描いていて、近所で探険したり、近所で発見したり、また近所の人たちとの触れ合いを大切に描いている。
今、学校教育では近所の方々と、あるいは学校の地元をしることを特に小学3年生辺りで薦めている。
地元の商店街や農家、地元の寺社、自然環境など。
故郷(或いは『ふるさと』とひらがなで標す場合もある)を知る、郷土愛を育む教育には俺も外部の講師として環境教育にて携わっている。
家に帰ってお母さんや兄弟に話したり、また日曜日に家族が揃ったときにお父さんにも話したり…
それをきっかけにお母さんと、或いはお父さんと、もしくは家族の皆で近所を探険して楽しんだらいいよなあ…
近所ならばあまり交通費も移動の時間も掛からない。だから安上がりに好きなように楽しめる。
近所で顔馴染みが出来たなら、何かあったときは助け合うのが楽になる。
極々当たり前だった日常がさくらももこさんがちびまる子ちゃんを連載し始めた頃はもう失われつつあった。
さくらももこさんが描きたかったのは特別な事柄ではなく、極々身近な、当たり前な日常生活の中での喜びや感動である。
長谷川町子さんのサザエさんも同じだ。
ちびまる子もサザエさんも安心して観られるのは日常生活の中での何気ないささやかな喜びや感動、最後のオチ、これらに尽きる。
ありふれた極々身近な日常生活こそが、無限大の物語の可能性があるのだ。
とにかく、喜怒哀楽あれども笑顔になれる生活、決して贅沢な金持ちでもなく、むしろ貧しくても笑顔になれる日常こそが最大の幸せなのである。
53歳でこの世を去られたさくらももこさんだが、ちびまる子ちゃんは日本人がこうした幸せを忘れず、求め続ける限りはサザエさんと共に生き続けることだろう。
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らす(サザエさんの場合はたらちゃんにしてみれば波平さんとお舟さんがおじいちゃん、おばあちゃん)、また近所の付き合いや繋がりが大切に描かれている。
サザエさんは昭和を昭和の時代に描かれているが、ちびまる子ちゃんは昭和を平成の時代を通じて描かれている。
またちびまる子ちゃんの場合は静岡市清水を舞台に地域性まで描かれている。
ちびまる子ちゃんはあのバブルの時代からヒットしたのは昭和の古きよきものがバブルの時代には既に失われていたからではなかろうか?
バブルの時代、豊かさはあっても家族や近所の付き合いや繋がりが希薄になっていたはずだ。
日曜日の夕方6時からちびまる子、6時半からサザエさんと家族が揃い夕食を交えながら楽しめる。
日曜日はお父さん、お母さん、子ども(子ども兄弟)が揃う家庭も多かろう。
おじいちゃん、おばあちゃんがいたら一番賑やかな時間でなかろうか?
日曜日、遠くに出掛けなくてもちびまる子ちゃんやサザエさんの中では近所を大切に描いていて、近所で探険したり、近所で発見したり、また近所の人たちとの触れ合いを大切に描いている。
今、学校教育では近所の方々と、あるいは学校の地元をしることを特に小学3年生辺りで薦めている。
地元の商店街や農家、地元の寺社、自然環境など。
故郷(或いは『ふるさと』とひらがなで標す場合もある)を知る、郷土愛を育む教育には俺も外部の講師として環境教育にて携わっている。
家に帰ってお母さんや兄弟に話したり、また日曜日に家族が揃ったときにお父さんにも話したり…
それをきっかけにお母さんと、或いはお父さんと、もしくは家族の皆で近所を探険して楽しんだらいいよなあ…
近所ならばあまり交通費も移動の時間も掛からない。だから安上がりに好きなように楽しめる。
近所で顔馴染みが出来たなら、何かあったときは助け合うのが楽になる。
極々当たり前だった日常がさくらももこさんがちびまる子ちゃんを連載し始めた頃はもう失われつつあった。
さくらももこさんが描きたかったのは特別な事柄ではなく、極々身近な、当たり前な日常生活の中での喜びや感動である。
長谷川町子さんのサザエさんも同じだ。
ちびまる子もサザエさんも安心して観られるのは日常生活の中での何気ないささやかな喜びや感動、最後のオチ、これらに尽きる。
ありふれた極々身近な日常生活こそが、無限大の物語の可能性があるのだ。
とにかく、喜怒哀楽あれども笑顔になれる生活、決して贅沢な金持ちでもなく、むしろ貧しくても笑顔になれる日常こそが最大の幸せなのである。
53歳でこの世を去られたさくらももこさんだが、ちびまる子ちゃんは日本人がこうした幸せを忘れず、求め続ける限りはサザエさんと共に生き続けることだろう。