言語はただの外部手段でしかない。

 

こういった観念をはっきり持つようになったのは、伊藤計劃先生の「虐殺器官」を読んでからだと思う。

伊藤計劃先生の本を知ったのは非常に偶然だったが、彼の本に出会ったのは今でも運命的なものだと思う。

 

昔から言霊のような、言葉の力をよく信じていた。ただ今思うとあれは、言葉を口にすることで、強い思いが伴っていれば勝手に体が付いてくる、といった現象だったのではないかと思う。

 

ただ逆にそれがなければ、考えを口にした言葉だけが宙に舞って、その考えは消えていく、といった現象もある気がする。

 

言葉は外部手段であると冒頭に言った。

 

しかし、前述の通りわたしたちの内部にも干渉しているように見えるという現実もある。

これは言葉という表層は外部に見えているが、その内部での見えない情報伝達が感情の強弱で途中断絶するかどうかで生じる現象ではないか。言語はこの際情報伝達を促すツールでしかないのではないか。

 

思考の言語化が大切だという意見は、現在頻繁に横行しているニーズに合わせないデザインのような表層だけを意識したものであることが多い。

言語化とは自分が必要だと感覚で感じた際に行うものだと思う。他人が求めるものではない。

あくまで一つの脳内情報を整理し、外部保存する手段でしかない。

 

もしかすると、言語という道具があるゆえに外部リソースに頼り人間の脳が弱くなってしまうともいえるかもしれない。他人とのコミュニケーションツールという面以外では言語は有害といえるかもしれない。