私(ロクハン)が一番印象に残っている坂口良子さんのドラマは、
『池中玄太80キロ』。

あのドラマの威勢のいい暁子役は、可愛い顔をしている坂口良子さんには合っていないと思った。



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●坂口杏里に教えたい…母・坂口良子「アイドル女優時代」の圧倒的魅力 忘れられた70年代の彼女

現代ビジネス
[6/8 22:01]

坂口良子の名前がいまでもときどき挙がる。

まあ、お母さんだった坂口良子という文脈なのだけれど、そのおり彼女の代表作としてよく『池中玄太80キロ』が挙げられる。

たしかにもっともよく知られた作品としては、そうなるのかもしれない。

女優坂口良子は、1980年のドラマ『池中玄太80キロ』からしっかりした女優として記憶されているのだろう。

ただ、私はそれ以前、
1970年代の坂口良子のほうが印象が強い。

そのころの坂口良子が大好きだった。

それは池中玄太以降の坂口良子とかなり違うイメージである。

1970年代をだいたい坂口良子を見て過ごしてきた私としては『池中玄太80キロ』以外の作品名も、少しは紹介して欲しいとおもってしまう。

*

1972年10月から始まった
30分ドラマ『アイちゃんが行く! 』が坂口良子の始まりである。

金曜夜7時からのドラマだ。

坂口良子が主演だった。

当時私は中学3年生だったのだが(学齢で言えば坂口の二つ下)、あまり中3男子が見るドラマだとはおもえなかった。

(中3の私が熱心に見ていたのは『天下御免』や『飛び出せ! 青春』『木枯し紋次郎』などである)。

ただ、主演の女の子が可愛かったので目に止まって、見始めたのである。

なぜこんなドラマを、という家族の不思議がる空気の中で見ていた。

坂口良子は17歳だった(ドラマ開始時は16歳)。

本郷直樹と鈴木ヒロミツと旅をしているドラマだった。

最後はイケメンの本郷直樹ではなく、鈴木ヒロミツのほうをアイちゃんは選んで、拍子抜けした記憶がある。

この時点で坂口良子のファンなどはそんなにいないだろう、と私はおもっていた。

少なくとも私の周辺には誰もいなかった。

新人女優だから当然である。

1970年代のドラマは2クール、つまり半年続くのがふつうだった。

『アイちゃんが行く! 』は1973年3月まで放映され、続いて同じ枠で放映された『GO! GOスカイヤー』にも出演したが、これは主演ではなかったので、とびとびにしか見ていない。

その秋1973年10月から始まった『サインはV』で坂口良子はまた主演を演じる。

あの有名な岡田可愛の『サインはV』の続編である(岡田可愛版は1969年作品)。

日曜の夜7時半からの30分ドラマだった。

4年前のドラマは大ヒットしたが、こちらはそこまでヒットしていない。

おそらく覚えている人も少ないとおもう。

坂口良子は主題歌を歌ったので、そのドーナツ盤のレコードを私は買った。

また、このドラマ放映中にウルトラマンシリーズ(ウルトラマンタロウ)に坂口良子が出演し、怪獣相手にバレーボールで戦うというシュールなシーンをよく覚えている。

そのあと、1974年4月から『青い山脈』に主演する。

これはきちんとした大人向けの60分ドラマで(フジテレビ系列月曜8時)、かなり晴れがましい場所に飛び出してきたという印象がある。

あらためて見ると、主演が続いている。

かなり注目された女優だということがわかる。

このドラマが坂口良子10代の代表作だとおもう。

『青い山脈』は石坂洋次郎の原作、1949年に映画化され大ヒットした作品である。

そのあとこの1974年までに2回映画化され、2回ドラマ化されている(これ以降にもあと2回映画化された)。

戦後日本で大人気だったコンテンツである。

坂口良子の相手役は志垣太郎。

志垣の両親役である加東大介と沢村貞子がとてもいい味を出していた。

そのあとも坂口良子の主演は続く。

1974年9月から『家なき子』、続いて1975年4月から『幸福ゆき』に主演した。

どちらも30分ドラマで、ずいぶん暗かった。

『幸福ゆき』は北海道に実際にあった国鉄の「幸福駅」が世間で話題になっていたので、それをモチーフにした(不幸な主人公が幸福を目指すという)ドラマだった。

それと同時に『俺たちの勲章』にも出演していた(1975年の4月~9月)。

これは松田優作と中村雅俊の青春刑事ドラマである。

松田優作がめちゃくちゃかっこよかった。

坂口良子は、松田と中村が所属する課の事務係である。

出張費の精算などをする係。

坂口良子に沿って見ていたドラマの中では、この作品にもっとも熱狂した。

青春友情ドラマだった。

ひたすら松田優作がかっこよかった。

後年、このドラマを見たとき、松田優作のセリフを私はほぼ全部覚えていた。

よほど真剣に見ていたんだろう。

この少し前、萩原健一と水谷豊のドラマ『傷だらけの天使』の第24話『渡辺綱に小指の思い出を』に坂口良子はゲスト出演していた(1975年3月)。

この話には胸を打たれた。

切ないストーリーで、坂口良子は、田舎っぽい切ない少女役がとても似合っていた。

1970年代の彼女はとても切ない存在だったのだ。

ある種のアイドル的な女優だった10代の坂口良子は、あまり前に出ないで少し引いたところでじっとこちらを見つめている、という役が似合っていた。

その姿に心つかまれていた。

坂口良子は、見ているものをとても切ない気分にさせる存在だったのだ。

そこが、彼女の圧倒的な魅力だった。

池中玄太以降には見られない坂口良子の香りである。

1975年10月から『前略おふくろ様』に出演する。

坂口良子20歳。

いまおもうと、この『前略おふくろ様』第1シリーズのかすみ役に、坂口良子の魅力がすべて詰まっているように感じる。

おとなしそうなのに、主人公の萩原健一に迫ってきて、恋人になってしまう。

切なさを含みながら、芯の強さが出ていた。

芯の強さは坂口良子という人間の本質ではないだろうか。

20代後半からはそちらが強く出てきて、アイドルから女優へときちんと変わっていく。

その少し前、まだ芯の強さがかわいらしく見えるこの時代の坂口良子が、私はもっとも好きである。

1年後に『前略おふくろ様』第2シリーズが放映されるが、ここでは主人公と別れて、次の交際相手がいた。

二人きりの恋人どうしの合図を、次の恋人にも使っていて、ショーケンがショックを受けるシーンがあったが、見ている私も衝撃だった(脚本の倉本聰の腕である)。

だからあまりこの第2シリーズは熱心に見ていない。

ショーケンに感情移入して見るドラマだったから、しかたがない。

70年代の坂口良子の代表作は、主演ではないながらこの『前略おふくろ様(第1シリーズ)』だと私はおもう。

ただ個人的にもっと忘れられないドラマがある。

『グッドバイママ』。

1976年7月からの1クールドラマだった(TBS系列、木曜9時の1時間ドラマ)。
主題歌はジャニス・イアンの『ラブ・イズ・ブラインド』で、洋楽が日本ドラマの主題歌に使われるのは当時はとても珍しかった。

この曲は大ヒットした。

ドラマは、主題歌ほどの注目を集めていなかったようにおもう。

坂口良子は主演で、余命いくばくもないシングルマザー役、父になってくれる人を探すドラマだった。

彼女の最初の仕事は、たしかコインランドリーの受付係である。

そのころ珍しかったコインランドリーには受付がいて、洗濯機の使い方などを説明するという仕事だった。

コインランドリーそのものを街で見かけたことのなかった私は、そういうものかとおもって見ていた。

やや先端的な職業という設定だったとおもう。

その後、自分でも東京でコインランドリーを使うようになったが、受付嬢というのは見たことがない。

でも、コインランドリーがとても先端的に見えていた。

1976年とはそういう時代だったのだ。

このドラマでは中ほどで、坂口良子が金が欲しくてヌードモデルをやるという回があり、その衝撃が忘れられない(肩から上が見える程度の映像だったのだが)。

まだアイドル的な切なさを漂わせながら、そういう体当たりの役を演じ始めた。

自分の身体性をしっかり意識していたのだろう。

その絶妙なバランスが魅力的だった。

20歳を越えて坂口良子は、映画にも出始める。

70年代後半は、ふつうのドラマ(子供向けではないドラマ)に続けて出演していた。

『三男三女婿一匹』や『ジグザグブルース』『新幹線公安官』、大河ドラマの『草燃ゆる』などである。

主演ドラマとしては質屋の女主人を演じた『細腕一代記』というのがあった。

アイドルから、ふつうの女優へとうつりかわっていった。

1980年1月から放送されていた『黒岩重吾シリーズ 愛の装飾』というドラマにも主演した。

6話完結の短いドラマである。

土曜の夜の大人のドラマだった。

児玉清とのベッドシーンが何回かあり『アイちゃんが行く! 』から見ている者にとってとても衝撃だった。

ドラマの内容はよく覚えておらず、ひたすら大人のドラマという雰囲気(ベッドシーンでの絡み)の記憶しかない。

このあと1980年4月から『池中玄太80キロ』が始まる。

主演は西田敏行である。

『池中玄太80キロ』はあくまで西田敏行のドラマである。

しかしそれまでの坂口良子とは違った役柄だった。

芯の強いしっかりした女性役であった。

1980年代に対する強く明るい宣言のような役だったとおもう。

おそらく坂口良子本人の性質に近い役だったのだろう。

1970年代は、何というか、いまから振り返ると、少し静かな時代だったように感じる。

60年代と80年代と比べれば、という意味でしかないが、昔ながらの世界をぎりぎり維持していた時代である。

明治生まれの人たちが発言していた最後の時代でもあった。

1980年代に入り、明治時代から離れた。

静かに端正に座っている時代ではなくなった。

たまたま年齢的に、坂口良子は1970年代には〝男が求める清廉な少女〟役を請け負っており(それがアイドル的な女優というわけである)、1980年代に入って芯の強い女性を演じるようになった。

1980年になったとき坂口良子は24歳である。

当時はまったく気がつかなかったのだが、私は〝アイドル女優時代〟の坂口良子をずっと追っかけ、彼女が大人の女優へと転換したら、追っかけるのをやめていたのだ。

だから彼女のイメージは、どこまでも〝儚いもの〟でしかない。

『傷だらけの天使』のラスト2回前に演じた、田舎の一途な少女、というのが彼女のイメージそのものである。

儚さをまとい、強さを秘めているのが、70年代の坂口良子だった。

儚さがうすれ、地に足をつけた女優として活躍するようになり、私は何となく離れていった。

すべての作品を見る、ということをしなくなった。

多くの人たちにとって坂口良子は『池中玄太80キロ』の女優さんなのかもしれない。

実際に当時からそういうイメージを抱いている人たちにとっては、それでかまわないとおもう。

ただ、私にとっては『前略おふくろ様』の坂口良子である。

『俺たちの勲章』の坂口良子であり、映画『犬神家の一族』の坂口良子であり、『傷だらけの天使』の最終回の2回前にゲストで出演した坂口良子であり、『青い山脈』のヒロイン坂口良子であり、『サインはV』続編の坂口良子である。

もし『池中玄太80キロ』をまったく見ていない世代の人が、彼女を紹介することがあるなら、そういうことも少し意識してもらえるといいな、ということである。

そういう彼女を忘れないでと言ったところで、リアルタイムに見ていない人には意味がないだろう。

それは私が覚えているしかない。

ただ、『前略おふくろ様』『俺たちの勲章』『犬神家の一族』『グッドバイママ』『青い山脈』『サインはV』の坂口良子でもあったと、ふと、頭の片隅をよぎらせてもらえると嬉しい、という話である。

彼女が死んだのは57歳だった。

秋に生まれて春に死んだ。

ときどき思い出すしか、私にはできることがない。