●Yahoo!ニュース
●GPS捜査・違法判決導いた弁護士が指摘する「共謀罪」本当の問題点 最高裁判断から逆行するつもりですか?

現代ビジネス
 [6/9 06:01]

写真:現代ビジネス

今年3月、最高裁で日本の司法史に残る画期的な判断が下された。

警察組織がこれまで「任意」で行ってきたGPSによる対象捜査について、

「裁判所が発する令状なく行うことは違法である」と判断したのだ。

今後、「任意」でGPS捜査を行うことは原則不可能になり、

警察組織は、その捜査手法を見直さなければならなくなる。

この裁判を担当した「法律事務所エクラうめだ」代表の亀石倫子弁護士は、
いま、参議院で審議中のいわゆる「共謀罪」について、

「いまのかたちのまま『共謀罪』が成立することは、

最高裁の判断に逆行することになる」と、

強い危機感を抱いているという--。

「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案をめぐる参議院での審議が佳境を迎えているが、

反対の声をあげておきたい。

共謀罪が成立すれば、

国家による国民の監視が

今まで以上に行われるようになる。

人びとは次第に、

「監視されても大丈夫」なように行動し、

発言するようになるだろう。

はたしてそれが本当に望ましい社会の姿だろうか。

警察が行っていたGPS捜査について、

今年3月に最高裁判所が示した判断を踏まえて考えてみたい。

GPS捜査は、10年以上前から全国各地の警察が行っていた。

犯罪をしたと疑われる者の車両やバイクにひそかにGPS端末を取り付け、

その「位置情報」を取得しながら対象者の行動を監視するという捜査である。

私が担当した大阪の事件の捜査では、犯罪をしたと疑われる者や共犯者が使用する車両や

バイク、犯罪に利用されると思われる車両など

合計19台にGPS端末が取り付けられていた。

そのなかには、犯罪とは

無関係の交際相手の車両も含まれていた。

短いものでは数日間、長いものでは数ヵ月間にわたってGPS端末が取り付けられ、

毎日、位置情報が取得されていた。

多いときには数十秒おきに位置情報が取得されており、

警察が、GPSの位置情報を取得しながら対象者を追跡していた様子がうかがわれた。

私たち弁護人は、警察が利用していたのと同じタイプのGPS端末を入手し、

どの程度の精度で位置情報が得られるのかを知るために、実験を行った。

その結果、車両が厚いコンクリートの壁で囲まれた駐車場内にあるときには、

実際の位置から数百メートルの誤差が生じることや、

トンネル内を走行している場合には位置情報が取得できないことがあったが、

そうした障害がない場合には、ほぼピンポイントで位置を把握することができることが分かった。

その正確さは、スマートフォンの地図アプリが自分のいまいる位置を表示するときと同様だった。

警察が、対象者の位置情報を毎日取得していたのには理由があった。

2、3日おきにGPS端末のバッテリーを交換する必要があるからだ。

バッテリーが切れてしまえば、車両の位置が把握できなくなるし、

対象者が気づかないうちにGPS端末を回収することができなくなる。

警察は、GPS端末のバッテリーを交換するために、

2、3日ごとに対象車両に近づいていた。

対象車両は、常に公道上にあるとは限らない。

自宅や商業施設の駐車場などの私有地内にあることもあった。

しかし警察は、車両が私有地内にある場合であっても、

その私有地の管理者の許可をとることなく立ち入り、GPS端末のバッテリーを交換していた。

私たちが担当した事件では、捜査員らは、対象者が立ち寄ったラブホテルの駐車場にまで侵入していた。

もし、一般人が同じことをしたら、

建造物侵入罪に

問われることになるだろう。

GPS捜査は、2006年6月に警察庁が発した内部通達に基づいて行われていた。

それも、全都道府県警が、である。

通達は、GPS捜査は「任意捜査」、つまり、裁判所が発する令状を

取らずに行うことができる捜査であると位置づけ、

「捜査書類には、移動追跡装置の存在を推知させるような記載はしない」

「事件広報の際には、移動追跡装置を使って捜査したことを公にしない」

などと記載して、このような捜査を行っていることを

秘密にするよう指示していた。

実際、捜査書類には、GPS捜査を行ったことを伺わせる

記載は一切なく、

捜査員は「GPS捜査に関するメモはすべて廃棄した」と法廷で証言した。

この通達には、GPS捜査の具体的な運用方法についても記載されており、

「犯罪を構成するような行為を伴うことなく、被疑者の使用車両などに取り付けること」

とされていたが、実際の現場では、

私有地への無許可の立ち入りという「犯罪を構成するような行為」を伴う方法で、

「被疑者の使用車両」
以外の車両にも

取り付けていたのである。

私たちは今年2月、最高裁判所で、このようなGPS捜査は、

個人のプライバシーを

侵害しうるものであるから、

裁判所の令状を取得せずに行うのは

違法であると主張した。

人の行動は、内面をあらわす。

教会へ行けば、その宗教を信仰していると思われるし、

政治家の講演会に行けばその政党を支持していると思われる。

定期的に病院に通えば病気だと思われ、

警察に通えば刑事事件に関与していると思われる。

人の行動は、

心の中を映し出し、

知られたくないプライベートな情報を

推知させる。

こうしたプライバシーは、

人が自分の考えをなんらかのかたちで外に表明する「前の段階」を守るためにある。

誰にも知られず、誰の評価も受けないことが

保障されるからこそ、

自由に行動し、

ものを考え、

自分のアイデンティティを形成することができるのである。

何もやましいことはないのだから

行動を監視されても構わない、という人がいる。

しかし、プライバシーとは、

やましいことを隠すためにあるのではなく、

自分のアイデンティティを守るためにある。

警察が行っていたGPS捜査は、

このような意味での

プライバシーに、国家が

土足で

立ち入る行為であったのだ。

今年3月、最高裁判所は、

「私的領域に侵入されない権利」は

憲法で保障されていることを明らかにしたうえで、

GPS捜査は、個人のプライバシーを

侵害しうるものであり、

公権力による私的領域への侵入を伴うとして、

裁判所が発する令状なく

行うことは違法であると判断した。

刑事裁判が、最高裁判所の15名の裁判官全員で構成される「大法廷」で審理されるのは、

平成に入ってから4例目である。

司法が、国家による国民の「監視」に一定の歯止めをかけた、

きわめて重要な判決だった。

さて、そこで「共謀罪」である。

共謀罪が成立すれば、

犯罪行為が行われる前の計画段階を知るために、

対象者を監視することが不可欠になる。

そして政府は、今年4月21日の衆院法務委員会で、

犯罪を計画している疑いがあれば、

「計画段階でも任意捜査を行うことが許される」

と述べている。

これが何を意味するのかを、考えてみてほしい。

個人の「私的領域」に

立ち入るような監視捜査を、

これからも裁判所の令状をとる

ことなく行う、と言っているのだが、

捜査の対象を選ぶのも、

運用の方法や期間を決めるのも、

警察の判断に

委ねられる、ということだ。

10年以上も前から行われていたGPS捜査は、

徹底的に国民に秘密にされてきた。

誰が対象となり、何のために、いつからいつまで行動を監視されて

いたのか、今となっては知りようがない。

こうした監視捜査が、

これからも行われることを意味しているのだ。

最高裁判決は、GPSを利用することに限って

「令状のない捜査は違法である」と判断したのではない。

人のプライバシーを侵害するおそれのあるものを

「私的領域」に侵入させる捜査は、

警察の判断だけで行っては

ならないということを示しているのである。

つまり、共謀罪をめぐる政府の答弁は、

最高裁の判断から明らかに

逆行しているのだ。

科学技術の進展に伴い、今後、GPSのような新しい技術を利用した

監視手法が次々に登場して

捜査に利用されることになるだろう。

それが犯罪捜査に有用であることは否定しない。

しかし、私たちのプライバシーを

侵害しうるものである以上、

野放しに行われるべき

でない。

もし、そうした捜査の

存在自体が秘密にされたまま、

国家による国民の監視が進めば、

人は「いつ、誰に見られても大丈夫なように

行動しなければならない」と

思うようになり、

誰からも非難されないような考えを持ち、

発言するようになるだろう。

つまりは、自然に

萎縮して日々を

生きるようになる、

ということだ。

(これが、主体性の無い
日本人の国民性を巧みに利用した安倍首相の狙いなのです。byロクハン)


「監視」が人々に与える

萎縮的効果は、

功利主義の代表的な思想家、ジェレミー・ベンサムが1791年に設計した「パノプティコン」と呼ばれる

刑務所の建築デザインにちなんで「パノプティコン効果」として知られている。

この刑務所のデザインは、

収監者の独房を中央の看守塔の周りに配置したものであり、

看守はこの塔からそれぞれの囚人を見ることができるが、

囚人は自分の独房からこの看守を見ることはできない。

囚人から看守が見えないと、

そこに看守がいてもいなくても、

囚人は視線を意識して

緊張するようになる。

囚人が取るべき唯一の行動は、

刑務所の規則に従うことである。

なぜなら、どんな瞬間であっても

囚人は見られている可能性があるからである。

つまり、監視の可能性を知覚しただけで、

実際の監視と同じ抑制効果があるのである。

現代では、「パノプティコン」という言葉は、

常時監視によって

個人の尊厳を

傷つけ、

人間性を

否定する

忌むべきシステムという意味を込めて

使われる場合が多い。

私的な空間における監視だけでなく、

監視はすべての状況において

個人の人格やプライバシーに対する

侵害となりうるのである。

国家による監視が進めば、

国民が多様な価値観を

持てなくなり、

国家が望ましいと考える

ひとつの価値観で

支配されてしまうかもしれない。

私は、日本がそのような

国になってほしくない。

共謀罪法案が参議院を通過するのなら、

せめて捜査機関は、計画段階に

おいてどのような捜査が行われる可能性があるのかを明らかにするべきだ。

今回のGPS判決の趣旨からすれば、

人びとの内心に立ち入り、

人格やプライバシーを

侵害する可能性のある捜査を、

今後、警察の判断だけで秘密裡に行うことは

許されない。

そうした捜査を行うのなら、

裁判所が発する令状を取るなり、

国会で立法をするなり、

きちんとしたルールのもとで行わなければならないのである。

それすらも議論されて

いないことに

強い危機感を

抱きながら、

日本がいつまでも、

多様な価値観と個性が

認められる、自由な社会で

あってほしいと願っている。