主体性が無い。
決断力が無い。
NOと言えない。

の日本人の国民性が、

ずるずると太平洋戦争に突入して行き、死ななくてもいい人たちを殺して行ったのです。

体当たり攻撃の神風特攻隊なんて、誰が見ても、おかしいでしょ。

みんな、おかしいと思っていても、NOと言える人がいなかったのです。

新国立競技場問題も、こんなのおかしい、と誰もが思っていても、NOと言える人がいなかったのです。



●「天声人語」
●「天声人語」
天声人語

(09/26)

 戦前の日本は、どのようにして先の戦争に突入していったのか。

政治学者の丸山真男は、敗戦直後に執筆した論文で喝破している。

「何となく何物かに押されつつ、ずるずると」。

これは驚くべき事態だ、と。

▼ナチスの指導者は開戦への決断をはっきり意識していたに違いない。

しかし、日本では、我こそが戦争を起こしたという意識を持つ指導者がいない。

日本では主体的な責任意識が成立するのは難しい--。

丸山の苦い診断である。

▼「ずるずると」と形容すべき事態が今も繰り返されている。

新国立競技場の旧計画が白紙撤回されるまでの経緯に関し、

第三者委員会が報告書を出した。

すべての重要な決定は、「やむをえない」という「空気」を

醸成することで行われていた、というのだから驚く。

ツケを払わされる納税者のことは

眼中にないのだろう。

▼整備主体の日本スポーツ振興センターも監督する文科省も、

「誰も独自の決断をしてこなかった」。

そうした中で報告書が「特に」と断って批判するのが、森喜朗元首相らの有識者会議だ。

▼本来は諮問機関にすぎないのに、

各界の重鎮が並ぶせいか、

「実質的な主導権や拒否権」を持ったと断じる。

権限をふるうが、責任は負わない。

そんな組織が意思決定の頂点にあれば、

まさに丸山の言う「無責任の体系」が形作られてしまう。

▼大会組織委会長でもある森氏は撤回前、

3、4千億円かけてもいいと語っていた。

それでも、おとがめなし。

「ずるずる」体質は骨がらみなのか。

(09/26 02:01)

朝日新聞