朝日新聞は腰抜けだし。
朝日新聞も主体性の無い日本人です。
中国や朝鮮半島での
旧日本軍の蛮行を、
なぜ、認めないのか。
なぜ、ドイツを見習わないのか。
ドイツは、何百万人ものユダヤ人を虐殺しているのですよ。
ドイツは、反省を込めて、ナチスドイツのことを学校で徹底的に教えています。
1931年の満州事変から始まり1945年に終わる太平洋戦争まで、
15年に渡る戦争は、全て、日本の過ちだったのです。
それを、なぜ、認めないのか。
在日韓国朝鮮人が、なぜ、日本にいるのか。
私は、それを高校の社会科の先生にきいたことがあります。
先生の答えは、
「それはアメリカの黒人と同じ。
アメリカの黒人は、かつて奴隷としてアメリカに連れてこられた人たちの子孫が、アメリカに住んでいる。
在日韓国朝鮮人も同じ。
かつて、朝鮮半島から強制労働者として日本に連れてこられた人たちの
子孫が日本に住んでいる」
と。
しかも、終戦後、日本政府は、日本に居る韓国朝鮮人の人たちに対して、
「日本人にしてくれる」、と約束していたのに、
「お前らは日本人ではない。韓国へ帰れ」
と言われたのです。
しかし、今更、韓国に帰っても、よそ者扱いをされるし、
仕方なく、外国人として日本に残ったのです。
日本政府は、そんな冷たい仕打ちをしているのです。
ヘイトスピーチとかの在日の人たちを否定する人たちは、
そういう歴史を知らないのです。
週刊文春も北星学園に脅迫状を送る人たちも、
そういう歴史を知らないのです。
ドイツみたいに、学校できちんと教えないから、
そんなヘイトスピーチとかが生まれるのです。
日本人の国民性の特徴で、
主体性が無く自己主張をしない。
自分の意見を持っていないから、大勢に流されやすい。
それが、日本人なのです。
だから、週刊文春を信じてしまうのです。
週刊文春の記者も主体性の無い日本人です。
週刊文春は、在日韓国朝鮮人を否定するのですか。
なぜ、彼らが、日本人になれずに日本にいるのか、
よく考えていただきたい。
私が、もう一つ社会科の先生にきいたことがあります。
それは、
「在日の人たちが外国人登録証の指紋押捺で苦しむのなら、なぜ、日本人にならないのですか?」
その答えは、
「彼らは、日本人に虐げられてきたから日本人には、なりたくない。
それよりも、日本に残って、日本で一旗上げようと思っている。
日本人よりも、在日の人たちの方が民族意識が強い」
と。
日本の企業のトップで在日の人たちが多いですよね。
(現在では、外国人登録証の指紋押捺は廃止されています)
主体性の無い日本人だから、こんなことになるのです。
主体性の無い日本人だから、中国や韓国に言い寄られてしまうのです。
●Yahoo!ニュース
●「私は捏造記者ではない」慰安婦報道の植村隆・元朝日新聞記者の会見スピーチ(全文)
弁護士ドットコムモバイル
[1/9 16:33]
元朝日新聞記者の植村隆氏
慰安婦問題の記事を書いた元朝日新聞記者の植村隆氏が
1月9日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開き、
週刊誌記事などで「捏造」と批判されていることについて、
「私は捏造記者ではない。
不当なバッシングに屈するわけにはいかない」
と主張した。
植村氏はこの日、
「捏造記者」と報じた
文藝春秋と
西岡力・東京基督教大学教授に
損害賠償を求める訴えを起こした。
植村氏は朝日新聞記者時代の1991年8月、
元慰安婦だと初めて名乗り出た韓国人女性が証言しているテープをもとに、記事を書いた。
朝日新聞社が昨年8月に虚偽であると判断した故・吉田清治氏の「慰安婦狩り」証言の報道とともに、
慰安婦問題が大きくクローズアップされるきっかけとなった。
植村氏は2014年に朝日新聞社を退職し、
現在は北星学園大学(札幌市)で非常勤講師を勤めているが、
大学に対して、植村氏の退職を求める脅迫状が届き、大きな問題になった。
植村氏の記事をめぐっては、
昨年8月の朝日新聞社の検証で、「記事に事実のねじ曲げない」としながらも、
「女子挺身隊=慰安婦」という表現は誤っていたと認めている。
以下、植村氏が外国人記者に向けて語ったスピーチの全文を紹介する。
●冒頭スピーチ全文
みなさま、お忙しいところ、私の記者会見に来ていただきまして、ありがとうございます。
パリの新聞社襲撃事件で多数の記者たちが亡くなったことに、本当にショックを受けています。
1987年5月には私の同期の小尻知博記者が支局を襲撃されて殺される事件がありました。
同じジャーナリストとして、こうした暴力には絶対に屈してはいけないと改めて思いました。
私が非常勤講師として勤めている北星学園大学にも昨日また、
脅迫状が送られてきました。
匿名性に隠れた
卑劣な
脅迫行為は、
絶対に許すことができないと思います。
なぜ、北星学園大学に脅迫状がくるかというと、
私がそこに勤務しているからであります。
去年、週刊文春の記事で、私が「捏造記者だ」というレッテル貼りをされました。
それで、まったく私の記事とは関係ない大学にまで、
こうした脅迫行為がおこなわれています。
私は訴訟準備のために東京にいて、大学には行っていなかったのですが、
私のために大学が脅迫にさらされることに心が痛みます。
本日、週刊文春を発行する文藝春秋および、
その週刊誌にコメントを発表した東京基督教大学の西岡力氏の両名を
名誉毀損の被告として、裁判を起こしました。
私は私の人権、私の家族の人権、家族の友人の人権、勤務先の北星学園大学の安全を守るために、
この訴訟を起こしました。
私は24年前の大阪社会部時代に、
慰安婦と名乗りでた韓国のおばあさんのつらい体験の記事を署名入りで2本書きました。
この記事が原因で、23年間ずっとバッシングを受けています。
この記事で私が存在を報じたのは金学順さんという人で、
韓国でカミングアウトした第1号の慰安婦です。
彼女の勇気のある証言で、
慰安婦の生の証言が世界に伝わって、たくさんの被害者が名乗り出るようなりました。
そういう意味では、慰安婦問題が世界に知られるようになった証言者第1号のおばあさんでした。
1年前の週刊文春(2月6日号)の記事に、1991年8月の記事が批判的に紹介されました。
この見出しを見ていただければわかりますが、
「慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大学の教授に」とあります。
西岡氏はこの週刊誌のコメントで、私の記事に対して、
「強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではない」とコメントしています。
(私の記事では)本文2段落目に、
「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳のときにだまされて慰安婦にされた」と書いてます。
そこには触れないで、(西岡氏は)
「強制連行があったかのように書いており、捏造」としています。
これはフェアではないと思います。
私の記事はリードで「女子挺身隊」という言葉を使いました。
当時、韓国では慰安婦のことを女子挺身隊、あるいは挺身隊という言葉で表現していました。
しかし、西岡氏は1992年 4月の文藝春秋で、
「重大な事実誤認」と批判していました。
その当時、西岡氏は、
「朝日に限らず日本のどの新聞も、
金さんが連行されたプロセスを詳しく報じず、
大多数の日本人は、当時の日本当局が権力を使って
金さんを慰安婦としてしまったと受け止めてしまった」
と書いています。
しかし、その後は、
私だけを狙い撃ちにして批判しています。
98年頃から、批判が「捏造」という言葉に変わりました。
同じ1991年の記事に対して、評価を変えてしまっているのです。
フレームアップだと思います。
結局、その流れで、去年の2月の週刊文春の記事は
私を「捏造記者」とレッテル貼りしました。
これはフレームアップの延長線上だと思います。
この記事が原因で、
私の転職先の神戸の女子大学にいやがらせのメール、電話が多数殺到しました。
そして私がいま勤務している北星学園大学にはさらに多くの抗議のメールや電話がくるようになりました。
抗議電話の一部は、インターネット上に公開されて、さらに憎悪が煽られています。
標的は大学だけではありません。
私の家族、娘にまで及びました。
娘の写真がインターネット上にさらされ、誹謗中傷が書き連ねられています。
たとえば、
「こいつの父親のせいで、どれだけの日本人が苦労したことか。
おやじが超絶反日活動で、贅沢三昧に育ったのだろう。
自殺するまで追い込むしかない」。
私のパートナーは韓国人です。
つまり、私の娘は父親が日本人で、母親が韓国人なのです。
娘に対してヘイトスピーチのような、
コリアンを差別するようなコメントも書かれています。
週刊文春の「捏造」というレッテル貼り、
そして西岡氏の言説が、
結果的にこうした状況を
引き起こしたのだと思います。
私は言論の場でも手記を発表して反論しています。
それだけではなく、
法廷でも捏造記者ではないことを認めていただこうと思っています。
私は「捏造記者」ではありません。
不当なバッシングに屈するわけにはいかないのです。
朝日新聞も主体性の無い日本人です。
中国や朝鮮半島での
旧日本軍の蛮行を、
なぜ、認めないのか。
なぜ、ドイツを見習わないのか。
ドイツは、何百万人ものユダヤ人を虐殺しているのですよ。
ドイツは、反省を込めて、ナチスドイツのことを学校で徹底的に教えています。
1931年の満州事変から始まり1945年に終わる太平洋戦争まで、
15年に渡る戦争は、全て、日本の過ちだったのです。
それを、なぜ、認めないのか。
在日韓国朝鮮人が、なぜ、日本にいるのか。
私は、それを高校の社会科の先生にきいたことがあります。
先生の答えは、
「それはアメリカの黒人と同じ。
アメリカの黒人は、かつて奴隷としてアメリカに連れてこられた人たちの子孫が、アメリカに住んでいる。
在日韓国朝鮮人も同じ。
かつて、朝鮮半島から強制労働者として日本に連れてこられた人たちの
子孫が日本に住んでいる」
と。
しかも、終戦後、日本政府は、日本に居る韓国朝鮮人の人たちに対して、
「日本人にしてくれる」、と約束していたのに、
「お前らは日本人ではない。韓国へ帰れ」
と言われたのです。
しかし、今更、韓国に帰っても、よそ者扱いをされるし、
仕方なく、外国人として日本に残ったのです。
日本政府は、そんな冷たい仕打ちをしているのです。
ヘイトスピーチとかの在日の人たちを否定する人たちは、
そういう歴史を知らないのです。
週刊文春も北星学園に脅迫状を送る人たちも、
そういう歴史を知らないのです。
ドイツみたいに、学校できちんと教えないから、
そんなヘイトスピーチとかが生まれるのです。
日本人の国民性の特徴で、
主体性が無く自己主張をしない。
自分の意見を持っていないから、大勢に流されやすい。
それが、日本人なのです。
だから、週刊文春を信じてしまうのです。
週刊文春の記者も主体性の無い日本人です。
週刊文春は、在日韓国朝鮮人を否定するのですか。
なぜ、彼らが、日本人になれずに日本にいるのか、
よく考えていただきたい。
私が、もう一つ社会科の先生にきいたことがあります。
それは、
「在日の人たちが外国人登録証の指紋押捺で苦しむのなら、なぜ、日本人にならないのですか?」
その答えは、
「彼らは、日本人に虐げられてきたから日本人には、なりたくない。
それよりも、日本に残って、日本で一旗上げようと思っている。
日本人よりも、在日の人たちの方が民族意識が強い」
と。
日本の企業のトップで在日の人たちが多いですよね。
(現在では、外国人登録証の指紋押捺は廃止されています)
主体性の無い日本人だから、こんなことになるのです。
主体性の無い日本人だから、中国や韓国に言い寄られてしまうのです。
●Yahoo!ニュース
●「私は捏造記者ではない」慰安婦報道の植村隆・元朝日新聞記者の会見スピーチ(全文)
弁護士ドットコムモバイル
[1/9 16:33]
元朝日新聞記者の植村隆氏
慰安婦問題の記事を書いた元朝日新聞記者の植村隆氏が
1月9日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開き、
週刊誌記事などで「捏造」と批判されていることについて、
「私は捏造記者ではない。
不当なバッシングに屈するわけにはいかない」
と主張した。
植村氏はこの日、
「捏造記者」と報じた
文藝春秋と
西岡力・東京基督教大学教授に
損害賠償を求める訴えを起こした。
植村氏は朝日新聞記者時代の1991年8月、
元慰安婦だと初めて名乗り出た韓国人女性が証言しているテープをもとに、記事を書いた。
朝日新聞社が昨年8月に虚偽であると判断した故・吉田清治氏の「慰安婦狩り」証言の報道とともに、
慰安婦問題が大きくクローズアップされるきっかけとなった。
植村氏は2014年に朝日新聞社を退職し、
現在は北星学園大学(札幌市)で非常勤講師を勤めているが、
大学に対して、植村氏の退職を求める脅迫状が届き、大きな問題になった。
植村氏の記事をめぐっては、
昨年8月の朝日新聞社の検証で、「記事に事実のねじ曲げない」としながらも、
「女子挺身隊=慰安婦」という表現は誤っていたと認めている。
以下、植村氏が外国人記者に向けて語ったスピーチの全文を紹介する。
●冒頭スピーチ全文
みなさま、お忙しいところ、私の記者会見に来ていただきまして、ありがとうございます。
パリの新聞社襲撃事件で多数の記者たちが亡くなったことに、本当にショックを受けています。
1987年5月には私の同期の小尻知博記者が支局を襲撃されて殺される事件がありました。
同じジャーナリストとして、こうした暴力には絶対に屈してはいけないと改めて思いました。
私が非常勤講師として勤めている北星学園大学にも昨日また、
脅迫状が送られてきました。
匿名性に隠れた
卑劣な
脅迫行為は、
絶対に許すことができないと思います。
なぜ、北星学園大学に脅迫状がくるかというと、
私がそこに勤務しているからであります。
去年、週刊文春の記事で、私が「捏造記者だ」というレッテル貼りをされました。
それで、まったく私の記事とは関係ない大学にまで、
こうした脅迫行為がおこなわれています。
私は訴訟準備のために東京にいて、大学には行っていなかったのですが、
私のために大学が脅迫にさらされることに心が痛みます。
本日、週刊文春を発行する文藝春秋および、
その週刊誌にコメントを発表した東京基督教大学の西岡力氏の両名を
名誉毀損の被告として、裁判を起こしました。
私は私の人権、私の家族の人権、家族の友人の人権、勤務先の北星学園大学の安全を守るために、
この訴訟を起こしました。
私は24年前の大阪社会部時代に、
慰安婦と名乗りでた韓国のおばあさんのつらい体験の記事を署名入りで2本書きました。
この記事が原因で、23年間ずっとバッシングを受けています。
この記事で私が存在を報じたのは金学順さんという人で、
韓国でカミングアウトした第1号の慰安婦です。
彼女の勇気のある証言で、
慰安婦の生の証言が世界に伝わって、たくさんの被害者が名乗り出るようなりました。
そういう意味では、慰安婦問題が世界に知られるようになった証言者第1号のおばあさんでした。
1年前の週刊文春(2月6日号)の記事に、1991年8月の記事が批判的に紹介されました。
この見出しを見ていただければわかりますが、
「慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大学の教授に」とあります。
西岡氏はこの週刊誌のコメントで、私の記事に対して、
「強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではない」とコメントしています。
(私の記事では)本文2段落目に、
「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳のときにだまされて慰安婦にされた」と書いてます。
そこには触れないで、(西岡氏は)
「強制連行があったかのように書いており、捏造」としています。
これはフェアではないと思います。
私の記事はリードで「女子挺身隊」という言葉を使いました。
当時、韓国では慰安婦のことを女子挺身隊、あるいは挺身隊という言葉で表現していました。
しかし、西岡氏は1992年 4月の文藝春秋で、
「重大な事実誤認」と批判していました。
その当時、西岡氏は、
「朝日に限らず日本のどの新聞も、
金さんが連行されたプロセスを詳しく報じず、
大多数の日本人は、当時の日本当局が権力を使って
金さんを慰安婦としてしまったと受け止めてしまった」
と書いています。
しかし、その後は、
私だけを狙い撃ちにして批判しています。
98年頃から、批判が「捏造」という言葉に変わりました。
同じ1991年の記事に対して、評価を変えてしまっているのです。
フレームアップだと思います。
結局、その流れで、去年の2月の週刊文春の記事は
私を「捏造記者」とレッテル貼りしました。
これはフレームアップの延長線上だと思います。
この記事が原因で、
私の転職先の神戸の女子大学にいやがらせのメール、電話が多数殺到しました。
そして私がいま勤務している北星学園大学にはさらに多くの抗議のメールや電話がくるようになりました。
抗議電話の一部は、インターネット上に公開されて、さらに憎悪が煽られています。
標的は大学だけではありません。
私の家族、娘にまで及びました。
娘の写真がインターネット上にさらされ、誹謗中傷が書き連ねられています。
たとえば、
「こいつの父親のせいで、どれだけの日本人が苦労したことか。
おやじが超絶反日活動で、贅沢三昧に育ったのだろう。
自殺するまで追い込むしかない」。
私のパートナーは韓国人です。
つまり、私の娘は父親が日本人で、母親が韓国人なのです。
娘に対してヘイトスピーチのような、
コリアンを差別するようなコメントも書かれています。
週刊文春の「捏造」というレッテル貼り、
そして西岡氏の言説が、
結果的にこうした状況を
引き起こしたのだと思います。
私は言論の場でも手記を発表して反論しています。
それだけではなく、
法廷でも捏造記者ではないことを認めていただこうと思っています。
私は「捏造記者」ではありません。
不当なバッシングに屈するわけにはいかないのです。