●なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか
2011年6月3日
モスクワで浅田真央さんの世界選手権を見てきました
この記事は、作家の岩崎夏海さんが、浅田真央さんが出場するフィギュアスケートの試合を観戦する、
その観戦記シリーズです。
今回は、2011年4月末にモスクワで開催された世界選手権についてです。
2011年4月27日から約一週間、ロシアの首都モスクワへ行き、世界フィギュアスケート選手権を観戦してきた。
28日の公式練習から、
29日のショートプログラム、
30日のフリーと見てきた。
その中で、ぼくが見た浅田真央さんがどうであったかを、
その時々で感じたこと、思ったことなどを交えながら書いていきたい。
2011年3月11日、東北地方を大地震が襲ったことと、
それに続いて福島の原子力発電所が大きなトラブルに見舞われたことで、主に安全が確保できなくなったのを理由に、
3月末に東京で行われる予定だった世界フィギュアスケート選手権は中止となった。
すると、すぐにロシアスケート連盟が代替開催に名乗りを挙げ、
結局予定されていた日から一ヶ月遅れで、ロシアの首都モスクワで、
今シーズンの幕引きとなる世界選手権が行われることになった。
これは、誰にとっても青天の霹靂だったことだろう。
誰にとっても、世界選手権が一度は中止になったり、あるいは延期になることなど予想もしていなかったに違いない。
ぼく自身も全く予想していなかった。
私事で恐縮だが、ぼくは東京の渋谷区に住んでいるので、世界選手権が開催される予定だった代々木体育館はとても近い。
歩いていけるくらいの距離だ。
今シーズン、名古屋、パリ、長野、台北と、真央さんの出場した試合は全て現地で見てきたのだけれど、
その最後の大会が自宅から歩いていけるほどの距離で開かれるということに、
何か縁のようなものを感じていた。
ところがそれは、結局家から一番遠い場所で行われることとなった。
モスクワへは、直通便のチケットが満席で取れなかったため、
フィンランドのヘルシンキ経由で入った。
おかげで、トランジットも含めると、
おおよそ19時間の移動となった。
しかしそれは、一つの良い経験にもなった。
フィギュアスケートという競技が、そして浅田真央さんが、
世界的な存在であるということがあらためて確認できたし、
またぼく自身も、このような機会でもなければ、モスクワに行くことはなかっただろうからだ。
そしてまた、モスクワがウィンタースポーツに関しては先進国で、
フィギュアスケートに対しても深い理解と愛情とを持つ国であるというのも、知ることはなかったと思う。
○ロシアはとても豊かな国だった
ぼくは、モスクワを訪れるのは初めてだったのだが、
来てみて分かったのは、このロシアという国は(少なくともモスクワは)経済的にとても豊かだということだった。
降り立った空港が、まず新しくきれいだったというのもあるが、
節電に取り組んでいる最中の日本から来たためか、
隅々まで灯されている照明がいやに明るく感じられたのが印象的だった。
また、空港からホテルへと向かう道は、
行き交う車で溢れていて、高級車がけっして珍しくなかった。
さらには、途中で訪れた24時間営業のスーパーマーケットも商品で溢れかえっていたし、
夕食に訪れたレストランも、
必ずしも高級店というわけではなかったが、どれもとても美味しかった。
あるいは、お店に従業員が多いことも特徴的だった。
スーパーやレストランに入ると、必ずガードマンも含めた4、5人の店員に振り向かれるのが常だった。
また意外だったのは、英語の通じる場所が多かったことだ。
ロシア語を話さなくても不便を感じることはあまりなく、
これは頑なにフランス語しか喋ろうとはしないパリとは大きな違いだった。
一点だけ馴染めないところがあるとすれば、
それは街があまりきれいではなかったことだ。
特に道路は汚く、排気ガスだけではなく、ゴミなどもそこかしこに落ちていた。
そのせいか、車は高級車も含めてどれも汚いまま走っており、
建物も、外壁や窓を清掃する習慣がないのか、薄汚れていた。
ぼくは花粉症でホコリでもくしゃみや鼻水が止まらなくなるので、
モスクワにいる間はマスクが手放せなかった。
さて、そんなモスクワに到着した
次の日の28日に、宿泊したホテルから車で15分ほどのところにある、
今回の世界選手権の会場となったメガスポーツアリーナを訪れた。
この施設の特徴は、これまで訪れたどの会場よりも、
大会を開くための環境が整っていたことだ。
まず驚かされたのは、練習用のサブリンクが、メイン会場に隣接してあったことだ。
プレスルームからも歩いて1、2分ほどの距離で、とても気軽に見に行くことができた。
これは、もし世界選手権が東京で開かれていたならば、
練習用のリンクは代々木競技場から電車で30分ほどかかる東伏見となる予定だったので、
選手にとってもプレスにとっても大きな違いだっただろう。
また、会場は収容人数が多いのはもちろん、スタンドの傾斜が大きくて、
後ろの席からもとても見やすかった。
しかも、全体的にリンクとの距離が近くコンパクトにまとまっているため、
試合になると一体感を築きやすかった。
会場の観客席は傾斜がついており見やすい。
これは、ロシアという国がウィンタースポーツやフィギュアスケートという競技に
理解や愛情が深いというだけではなく、
演劇やバレエといった観劇文化にも深い伝統を持つことと無関係ではないだろう。
ロシアは、選手や観客が気持ち良く競技したり観戦したりできる競技場を作る技術に長けており、
その意味でも、この会場は他のどの会場とも一線を画していた。
この「施設が充実している」ということは、
大会の運営スケジュールにもちょっとした影響を及ぼしていた。
これまでの大会では、一日に一回しかなかった練習時間が、
この大会では二回あったのだ。
他の会場では、メインリンクしかないため、本番中は練習時間を取れないのだが、
この会場はサブリンクが隣接しているため、本番中でも練習をすることができた。
ちなみに試合前日の女子の練習は、
午前と午後の二回、それぞれ約40分間ずつ、
ともにサブリンクにおいて設けられていた。
○地下にあった練習用サブリンク
そうしてぼくは、まずはサブリンクで行われたショートプログラム前日の公式練習から、
浅田真央さんを見ることとなった。
メイン会場の関係者用出入り口を出てすぐのところにある背の低い建物に入ると、
そこから地下へと降りる階段が続いていた。
段数にして約一階半分ほど下り、重々しい鉄製の扉を開けると、そこがサブリンクだった。
このサブリンクは、とても贅沢な造りだった。
わざわざ地下に作ったのは、夏でも温度が上がらないようにするためだろう。
しかし天井の高いところ(地上部分)には明かり取りの窓が設けられており、
重苦しい雰囲気は少しもなかった。
むしろ光に溢れ、とても気持ちの良い空間だった。
リンクの広さは、メインのものと変わりなく、両端には、
二段ではあるものの見学用の簡易スタンドまで設けられていた。
室内温度は、当たり前だがとても低かった。
この日のモスクワは、すでに春の陽気で
外では薄手のジャケットで何の問題もなかったのだが、
サブリンクの中は、とてもじゃないがそれでは間に合わず、
持ってきたダウンのジャンパーを羽織ったのだが、それでも寒いくらいだった。
やがて公式練習が始まった。
浅田真央さんは、他の五人の選手と一緒に会場に入ってきた。
ぼくは、正面側の簡易スタンドに陣取ってこれを見学していたのだが、
リンクのすぐ近くにあるため、ほんの数メートルの位置から見ることができた。
これは、今まで見た会場はどれもスタンドからの見学で、
近くても15メートルは離れていたため、
他とは大きく違うところだった。
そうして見学した真央さんの、この日の第一印象は、
いつもと変わらない姿がそこにある--というものだった。
ぼくが浅田真央さんを直に見るのは、
台北での四大陸選手権以来およそ2ヶ月振りだった。
また、世界選手権が延期された影響もあるかもしれないと思い、
普段以上に注意して、何か違いみたいなものがあれば見つけ出そうと見ていたのだけれど、
しかしいつものようにルーティンワークを淡々とこなす真央さんからは、
試合が1ヶ月後ろ倒しになった影響はほとんど感じられなかった。
あるいは、彼女の表情に、これまでと同じような青き炎の如く静かな闘志が感じられたのも、
普段と変わらないという印象を強くしたのかもしれない。
淡々とルーティンをこなしていく彼女の表情は、
いつものように伏し目がちの無表情で、それゆえ、その集中の深さが窺われた。
やがて身体が温まってくると、徐々に頬も紅潮してくるので、
その集中が益々深まっているだろうことは、傍目からでもよく分かった。
そうして、ちょうど10分が経過した頃に、
上に羽織っていたジャージを脱ぐと、
ジャンプの練習へと移行していったのである。
真央さんが、いつもの真央さんと少し違うなと気づいたのは、その時だった。
彼女は、ジャージを脱ぐとリンクを半周して、それからすぐに
トリプルアクセルの練習に取り組み始めたのだが、
その姿が、いつもと少し違ったのである。
この言葉が正しいのかは分からないが、モスクワでの彼女のジャンプは、
いつも以上に「可憐」だった。
それは、まるで花びらようだった。
ぼくは、浅田真央さんがジャンプをするのを見て、すぐに桜の花びらを連想した。
その時の見学メモには、「ヒラヒラ」という擬音が記されている。
とても可憐で、そして儚げだったので、
そういう言葉を書いたのだろう。
ジャンプし、回転しながら降りてくる真央さんの姿は、
さながら舞い落ちる桜の花びらのようだった。
それを見て、最初は美しいなと思った。
そしてそれ以外には、何の感想も思い浮かばなかったのだが、
しかし次第に、その姿からは、
幾分か力強さのようなものが欠けているということにも気づかされた。
力感というものがほとんどなかった。
特に、腕周りにそれがなかった。
ジャンプの後にスピンする彼女の手のひらは、いつも以上に大きく見えた。
それがまた、彼女の姿から花びらを連想させる一助ともなっていた。
その手のひらの動きにも、「ヒラヒラ」という擬音を連想させるものがあったのだ。
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2011年6月3日
モスクワで浅田真央さんの世界選手権を見てきました
この記事は、作家の岩崎夏海さんが、浅田真央さんが出場するフィギュアスケートの試合を観戦する、
その観戦記シリーズです。
今回は、2011年4月末にモスクワで開催された世界選手権についてです。
2011年4月27日から約一週間、ロシアの首都モスクワへ行き、世界フィギュアスケート選手権を観戦してきた。
28日の公式練習から、
29日のショートプログラム、
30日のフリーと見てきた。
その中で、ぼくが見た浅田真央さんがどうであったかを、
その時々で感じたこと、思ったことなどを交えながら書いていきたい。
2011年3月11日、東北地方を大地震が襲ったことと、
それに続いて福島の原子力発電所が大きなトラブルに見舞われたことで、主に安全が確保できなくなったのを理由に、
3月末に東京で行われる予定だった世界フィギュアスケート選手権は中止となった。
すると、すぐにロシアスケート連盟が代替開催に名乗りを挙げ、
結局予定されていた日から一ヶ月遅れで、ロシアの首都モスクワで、
今シーズンの幕引きとなる世界選手権が行われることになった。
これは、誰にとっても青天の霹靂だったことだろう。
誰にとっても、世界選手権が一度は中止になったり、あるいは延期になることなど予想もしていなかったに違いない。
ぼく自身も全く予想していなかった。
私事で恐縮だが、ぼくは東京の渋谷区に住んでいるので、世界選手権が開催される予定だった代々木体育館はとても近い。
歩いていけるくらいの距離だ。
今シーズン、名古屋、パリ、長野、台北と、真央さんの出場した試合は全て現地で見てきたのだけれど、
その最後の大会が自宅から歩いていけるほどの距離で開かれるということに、
何か縁のようなものを感じていた。
ところがそれは、結局家から一番遠い場所で行われることとなった。
モスクワへは、直通便のチケットが満席で取れなかったため、
フィンランドのヘルシンキ経由で入った。
おかげで、トランジットも含めると、
おおよそ19時間の移動となった。
しかしそれは、一つの良い経験にもなった。
フィギュアスケートという競技が、そして浅田真央さんが、
世界的な存在であるということがあらためて確認できたし、
またぼく自身も、このような機会でもなければ、モスクワに行くことはなかっただろうからだ。
そしてまた、モスクワがウィンタースポーツに関しては先進国で、
フィギュアスケートに対しても深い理解と愛情とを持つ国であるというのも、知ることはなかったと思う。
○ロシアはとても豊かな国だった
ぼくは、モスクワを訪れるのは初めてだったのだが、
来てみて分かったのは、このロシアという国は(少なくともモスクワは)経済的にとても豊かだということだった。
降り立った空港が、まず新しくきれいだったというのもあるが、
節電に取り組んでいる最中の日本から来たためか、
隅々まで灯されている照明がいやに明るく感じられたのが印象的だった。
また、空港からホテルへと向かう道は、
行き交う車で溢れていて、高級車がけっして珍しくなかった。
さらには、途中で訪れた24時間営業のスーパーマーケットも商品で溢れかえっていたし、
夕食に訪れたレストランも、
必ずしも高級店というわけではなかったが、どれもとても美味しかった。
あるいは、お店に従業員が多いことも特徴的だった。
スーパーやレストランに入ると、必ずガードマンも含めた4、5人の店員に振り向かれるのが常だった。
また意外だったのは、英語の通じる場所が多かったことだ。
ロシア語を話さなくても不便を感じることはあまりなく、
これは頑なにフランス語しか喋ろうとはしないパリとは大きな違いだった。
一点だけ馴染めないところがあるとすれば、
それは街があまりきれいではなかったことだ。
特に道路は汚く、排気ガスだけではなく、ゴミなどもそこかしこに落ちていた。
そのせいか、車は高級車も含めてどれも汚いまま走っており、
建物も、外壁や窓を清掃する習慣がないのか、薄汚れていた。
ぼくは花粉症でホコリでもくしゃみや鼻水が止まらなくなるので、
モスクワにいる間はマスクが手放せなかった。
さて、そんなモスクワに到着した
次の日の28日に、宿泊したホテルから車で15分ほどのところにある、
今回の世界選手権の会場となったメガスポーツアリーナを訪れた。
この施設の特徴は、これまで訪れたどの会場よりも、
大会を開くための環境が整っていたことだ。
まず驚かされたのは、練習用のサブリンクが、メイン会場に隣接してあったことだ。
プレスルームからも歩いて1、2分ほどの距離で、とても気軽に見に行くことができた。
これは、もし世界選手権が東京で開かれていたならば、
練習用のリンクは代々木競技場から電車で30分ほどかかる東伏見となる予定だったので、
選手にとってもプレスにとっても大きな違いだっただろう。
また、会場は収容人数が多いのはもちろん、スタンドの傾斜が大きくて、
後ろの席からもとても見やすかった。
しかも、全体的にリンクとの距離が近くコンパクトにまとまっているため、
試合になると一体感を築きやすかった。
会場の観客席は傾斜がついており見やすい。
これは、ロシアという国がウィンタースポーツやフィギュアスケートという競技に
理解や愛情が深いというだけではなく、
演劇やバレエといった観劇文化にも深い伝統を持つことと無関係ではないだろう。
ロシアは、選手や観客が気持ち良く競技したり観戦したりできる競技場を作る技術に長けており、
その意味でも、この会場は他のどの会場とも一線を画していた。
この「施設が充実している」ということは、
大会の運営スケジュールにもちょっとした影響を及ぼしていた。
これまでの大会では、一日に一回しかなかった練習時間が、
この大会では二回あったのだ。
他の会場では、メインリンクしかないため、本番中は練習時間を取れないのだが、
この会場はサブリンクが隣接しているため、本番中でも練習をすることができた。
ちなみに試合前日の女子の練習は、
午前と午後の二回、それぞれ約40分間ずつ、
ともにサブリンクにおいて設けられていた。
○地下にあった練習用サブリンク
そうしてぼくは、まずはサブリンクで行われたショートプログラム前日の公式練習から、
浅田真央さんを見ることとなった。
メイン会場の関係者用出入り口を出てすぐのところにある背の低い建物に入ると、
そこから地下へと降りる階段が続いていた。
段数にして約一階半分ほど下り、重々しい鉄製の扉を開けると、そこがサブリンクだった。
このサブリンクは、とても贅沢な造りだった。
わざわざ地下に作ったのは、夏でも温度が上がらないようにするためだろう。
しかし天井の高いところ(地上部分)には明かり取りの窓が設けられており、
重苦しい雰囲気は少しもなかった。
むしろ光に溢れ、とても気持ちの良い空間だった。
リンクの広さは、メインのものと変わりなく、両端には、
二段ではあるものの見学用の簡易スタンドまで設けられていた。
室内温度は、当たり前だがとても低かった。
この日のモスクワは、すでに春の陽気で
外では薄手のジャケットで何の問題もなかったのだが、
サブリンクの中は、とてもじゃないがそれでは間に合わず、
持ってきたダウンのジャンパーを羽織ったのだが、それでも寒いくらいだった。
やがて公式練習が始まった。
浅田真央さんは、他の五人の選手と一緒に会場に入ってきた。
ぼくは、正面側の簡易スタンドに陣取ってこれを見学していたのだが、
リンクのすぐ近くにあるため、ほんの数メートルの位置から見ることができた。
これは、今まで見た会場はどれもスタンドからの見学で、
近くても15メートルは離れていたため、
他とは大きく違うところだった。
そうして見学した真央さんの、この日の第一印象は、
いつもと変わらない姿がそこにある--というものだった。
ぼくが浅田真央さんを直に見るのは、
台北での四大陸選手権以来およそ2ヶ月振りだった。
また、世界選手権が延期された影響もあるかもしれないと思い、
普段以上に注意して、何か違いみたいなものがあれば見つけ出そうと見ていたのだけれど、
しかしいつものようにルーティンワークを淡々とこなす真央さんからは、
試合が1ヶ月後ろ倒しになった影響はほとんど感じられなかった。
あるいは、彼女の表情に、これまでと同じような青き炎の如く静かな闘志が感じられたのも、
普段と変わらないという印象を強くしたのかもしれない。
淡々とルーティンをこなしていく彼女の表情は、
いつものように伏し目がちの無表情で、それゆえ、その集中の深さが窺われた。
やがて身体が温まってくると、徐々に頬も紅潮してくるので、
その集中が益々深まっているだろうことは、傍目からでもよく分かった。
そうして、ちょうど10分が経過した頃に、
上に羽織っていたジャージを脱ぐと、
ジャンプの練習へと移行していったのである。
真央さんが、いつもの真央さんと少し違うなと気づいたのは、その時だった。
彼女は、ジャージを脱ぐとリンクを半周して、それからすぐに
トリプルアクセルの練習に取り組み始めたのだが、
その姿が、いつもと少し違ったのである。
この言葉が正しいのかは分からないが、モスクワでの彼女のジャンプは、
いつも以上に「可憐」だった。
それは、まるで花びらようだった。
ぼくは、浅田真央さんがジャンプをするのを見て、すぐに桜の花びらを連想した。
その時の見学メモには、「ヒラヒラ」という擬音が記されている。
とても可憐で、そして儚げだったので、
そういう言葉を書いたのだろう。
ジャンプし、回転しながら降りてくる真央さんの姿は、
さながら舞い落ちる桜の花びらのようだった。
それを見て、最初は美しいなと思った。
そしてそれ以外には、何の感想も思い浮かばなかったのだが、
しかし次第に、その姿からは、
幾分か力強さのようなものが欠けているということにも気づかされた。
力感というものがほとんどなかった。
特に、腕周りにそれがなかった。
ジャンプの後にスピンする彼女の手のひらは、いつも以上に大きく見えた。
それがまた、彼女の姿から花びらを連想させる一助ともなっていた。
その手のひらの動きにも、「ヒラヒラ」という擬音を連想させるものがあったのだ。
(字数制限があるので、ページを変えます)