フィギュアスケートネタです。

 「キス・アンド・クライ」の続きです。



自分自身で判断すること。

42ページ。
「美姫は世界選手権の(優勝した2007年の)
直後にも、やめる・やめないを口にしていたことがあった。
私は、あえてぶっきらぼうに、
『あの時点でやめることもできたが、続けるのを決断したのは君自身だ』と言った。
彼女は色をなして、
『でも、あなたが、やめるべきではない、と言ったんじゃない!』
と食ってかかってきた。

実際に美姫はやめるべきではなかったし、私が彼女にそう言ったのも事実だ。
だが、私はその場ですぐ、非常に重要なことに気がついた。
美姫自身が自分で決めたはずの最終的なゴール、すなわち『オリンピックで優勝すること』に対して、
なんら責任を感じていないことに--。

私が続けると言ったから続けている?

これは大問題だった」



選手自身が自立する。

44ページ。
「私は今、すべての日本人選手、いや、指導するすべてのスケーターに、自分の計画を作らせている。
自分たちがしていることに対して責任を持たせることで、選手が自立するからだ」



残すべき日本人らしさ。

45ページ。
「残すべき日本人らしさはもちろん、スケートに対する献身的な姿勢だ。
学ぶことに貪欲で、日々のトレーニングから実に多くのことを吸収しようと努める姿は、
感動的であるとさえ言っていい。
スポーツに限らず、あらゆるジャンルで日本人が成功を収めてきた原動力が、
この勤勉さにあることは疑いようのない事実だ。

 さまざまなスケーターと接してきた経験から、私は、
文化という側面で日本は他の国より30年先に進んでいると感じている。

人々は勤勉でありながらおごったところはまるでなく、
つねに他者を尊重し、周囲への感謝の気持ちを忘れない。

率直に言って、トップアスリートともなるとときに傲慢で、
人を人とも思わない態度を取る人間も存在するものだが、

日本のスケーターには当てはまらないようだ。

シャイで、礼儀正しい日本の選手たちに
悪い印象を覚える者は、皆無だろう」



捨てるべき日本人らしさ。

46ページ。
「だが、シャイで礼儀正しい日本のスケーターたちが、氷上でも同じようにふるまってしまったら、
表彰台の一番高いところに立つ可能性は決して高くない。
育ってきた文化の影響が悪い方向に出て、他の文化圏出身の観衆やジャッジには、
あたかも自信なく滑っているように見えるからだ。
 そのような演技では、満場の観衆を魅了することなどとうていかなわない。
技術的には劣っていても、自らを魅せることに長けた、
自信にあふれたスケーティングを披露できる選手を相手にしたら、
簡単に敗れてしまうだろう」
「私がまず取り組んだのは、シャイで礼儀正しいことと表裏を成している、
自分を表現することに対する恥じらいを取り除くことだった」



日本人は自己主張しない。

48ページ。
「日本人スケーターが観衆を魅了することに苦労する理由に気づいたのは、
全日本選手権に初めて参加したときだった。
どの選手も一様におずおずと演技しており、
見ていて興奮する場面が皆無だったからだ。

日本では、自分を表現する行為が、
自慢しているか、注目を浴びようとしている態度と解釈され、
スタンドプレーとして受け取られやすいことに気が付いた。
だがこれは大きな誤解だ」
「自分を表現できない選手に対しては、拍手も評価も与えないのが、
フィギュアスケートのルールなのだ」




 モロゾフコーチは、日本人の長所も欠点も理解しているようです。
 ほかの外国人も、日本人の長所と欠点を理解しているのだろうか。

今回は、ここまで。