Number747号の「ナンバーノンフィクション
太田由希奈の生き方」
という記事を読んで、
ちょっとショックを受けているのです。
今まで、太田由希奈さんの特集記事は、いろんな本で、何度も書かれてきました。
それらは、すべて、ケガさえなければ、今頃は世界のトップ選手になっていた。
「悲劇のヒロイン」として書かれていたのです。
2003年のNumber567号には、将来、期待される選手として、
16歳の太田由希奈
15歳の安藤美姫
17歳の鈴木明子
12歳の浅田真央
の4人が一緒に写っている写真が載っています。
このNumber誌が予言したかように、太田由希奈さんを除いた3人が、
奇しくもオリンピックの代表になっています。
(鈴木明子さんは、この頃は期待が大きかったのですね。まさに、復活ですね)
太田由希奈さんは、トリノ五輪の代表間違いないと言われていました。
女子で史上初4回転ジャンプを跳んだ安藤美姫さんを押さえて、
ジュニアグランプリファイナルで太田由希奈さんが優勝。
この時のマスコミは、優勝した太田由希奈さんをほとんど取り上げず、
4回転の安藤美姫さんばかりを取り上げていました。
同じく、世界ジュニア選手権でも、やはり安藤美姫さん、
カロリナ・コストナーを押さえて、日本女子としては、10年振りに優勝。
翌年の四大陸選手権では、初出場、初優勝。
まさに、トップ選手の階段を駆け上がっていったのです。
太田由希奈さんは、所作が非常にきれいで、指先まで神経が行き届き、
氷上のバレリーナと言われています。
特に、アラベスク型のスパイラルは、ほぼ180°
足が開いていて、非常にきれいです。
日本人選手の中では、太田由希奈さんのスパイラルは、天下一品、ピカイチです。
そんな太田由希奈さんは、芸術性を重視する旧採点方式に
最適の選手だったのでしょう。
ジャンプの安藤美姫さんより、表現力の太田由希奈さんの方が評価されたのです。
しかし、太田由希奈さんは、ジャンプが苦手だったのです。
太田由希奈さんは、体が柔らかくて、体が柔らかいと軸が定まらず、ジャンプに不利だそうです。
新採点方式は、ジャンプに高い点数が配分されているため、
ジャンプが跳べなくては、話が始まらない。
それで、太田由希奈さんは、ジャンプの練習中に、足首を痛めてしまい、
完治しない「骨挫傷」のケガを負ってしまったのです。
というのが、今まで理解していた、太田由希奈さんのストーリーでした。
しかし、このナンバーノンフィクションの記事を読むと、違うのですね。
「フィギュアスケート
Days Plus 2009-2010
女子シングル読本」(ダイエックス出版)と
いう本の中に、
「表現力」というテーマで、太田由希奈さんの記事が載っています。
それを読むと、太田由希奈さんは、プログラムを「一枚の絵」になるように心がけているそうです。
そして、自分の演技のビデオを何度も、何度も見るそうです。
そうして、「一枚の絵」を仕上げるそうです。
この記事を読んで、足のケガは、非常に悔しかったに違いない、
と思っていたのですが。
違うのですね。
ナンバーノンフィクションに書いてあるのを読むと、
一気に駆け上がって行ったトップ選手の道を太田由希奈さんは、よし、としていなかったのですね。
元々、何が何でもスケートが好きだ、というわけでもなかった。
たまたま、コーチが太田由希奈さんの才能を見出したけれど。
高等学校も、進学校へ進学した。
だから、世界のトップ選手になっても、練習時間が取れない。
ホームリンクの閉鎖も重なり、ストレスがたまっていた。
そんな中で、ゆっくりする時間がほしいと思っていた。
だから、練習も真剣に取り組んでいなかった。
真剣に練習をしていなかったので、ジャンプの着地で、グキッてやってしまった。
「よし、これは、大きなケガだぞ。これで、休める」と思ったのですね。
半ば意図的だったそうで。
この記事を読んで、「悲劇のヒロイン」でも、なんでもないじゃないか。
自分の責任じゃないか、と思ったのですね。
自分には、才能があったけれど、それを伸ばそうとは考えなかったのでしょうか。
「そんなに努力もせずに、ぽんって世界チャンピオンのイスに座らされて、
本人もしんどかったのかも」と
記事に書いていますが。
才能のある人だから、
「もうちょっとがんばれたんじゃない」とも
書いています。
鈴木明子さんの頑張りを見ていて、太田由希奈さんは、どう思ったのでしょう。
と記事に書いていますが。
確かに、鈴木明子さんは、根性の人です。
でも、病気なら治るけれど、完治しない骨挫傷だと、
もう、頑張れないと思うのですが。
あの2003年の4人が揃った写真は、太田由希奈さんの実家の居間の壁に、
7年間、ずっと掲げたままだそうですが。
その写真を見て、今、太田由希奈さんは、どう思うのでしょうね。
私個人的には、日本の女子選手は、ジャンプで目立った選手ばかりだったので、
そうではない、太田由希奈さんの、世界で活躍する姿を見たかったのですが。
でも、新採点方式だと難しいですかね。
太田由希奈さんと安藤美姫さんの関係は、
芸術性のカタリナ・ビット選手と
ジャンプの伊藤みどりさんの関係のようですね。
太田由希奈の生き方」
という記事を読んで、
ちょっとショックを受けているのです。
今まで、太田由希奈さんの特集記事は、いろんな本で、何度も書かれてきました。
それらは、すべて、ケガさえなければ、今頃は世界のトップ選手になっていた。
「悲劇のヒロイン」として書かれていたのです。
2003年のNumber567号には、将来、期待される選手として、
16歳の太田由希奈
15歳の安藤美姫
17歳の鈴木明子
12歳の浅田真央
の4人が一緒に写っている写真が載っています。
このNumber誌が予言したかように、太田由希奈さんを除いた3人が、
奇しくもオリンピックの代表になっています。
(鈴木明子さんは、この頃は期待が大きかったのですね。まさに、復活ですね)
太田由希奈さんは、トリノ五輪の代表間違いないと言われていました。
女子で史上初4回転ジャンプを跳んだ安藤美姫さんを押さえて、
ジュニアグランプリファイナルで太田由希奈さんが優勝。
この時のマスコミは、優勝した太田由希奈さんをほとんど取り上げず、
4回転の安藤美姫さんばかりを取り上げていました。
同じく、世界ジュニア選手権でも、やはり安藤美姫さん、
カロリナ・コストナーを押さえて、日本女子としては、10年振りに優勝。
翌年の四大陸選手権では、初出場、初優勝。
まさに、トップ選手の階段を駆け上がっていったのです。
太田由希奈さんは、所作が非常にきれいで、指先まで神経が行き届き、
氷上のバレリーナと言われています。
特に、アラベスク型のスパイラルは、ほぼ180°
足が開いていて、非常にきれいです。
日本人選手の中では、太田由希奈さんのスパイラルは、天下一品、ピカイチです。
そんな太田由希奈さんは、芸術性を重視する旧採点方式に
最適の選手だったのでしょう。
ジャンプの安藤美姫さんより、表現力の太田由希奈さんの方が評価されたのです。
しかし、太田由希奈さんは、ジャンプが苦手だったのです。
太田由希奈さんは、体が柔らかくて、体が柔らかいと軸が定まらず、ジャンプに不利だそうです。
新採点方式は、ジャンプに高い点数が配分されているため、
ジャンプが跳べなくては、話が始まらない。
それで、太田由希奈さんは、ジャンプの練習中に、足首を痛めてしまい、
完治しない「骨挫傷」のケガを負ってしまったのです。
というのが、今まで理解していた、太田由希奈さんのストーリーでした。
しかし、このナンバーノンフィクションの記事を読むと、違うのですね。
「フィギュアスケート
Days Plus 2009-2010
女子シングル読本」(ダイエックス出版)と
いう本の中に、
「表現力」というテーマで、太田由希奈さんの記事が載っています。
それを読むと、太田由希奈さんは、プログラムを「一枚の絵」になるように心がけているそうです。
そして、自分の演技のビデオを何度も、何度も見るそうです。
そうして、「一枚の絵」を仕上げるそうです。
この記事を読んで、足のケガは、非常に悔しかったに違いない、
と思っていたのですが。
違うのですね。
ナンバーノンフィクションに書いてあるのを読むと、
一気に駆け上がって行ったトップ選手の道を太田由希奈さんは、よし、としていなかったのですね。
元々、何が何でもスケートが好きだ、というわけでもなかった。
たまたま、コーチが太田由希奈さんの才能を見出したけれど。
高等学校も、進学校へ進学した。
だから、世界のトップ選手になっても、練習時間が取れない。
ホームリンクの閉鎖も重なり、ストレスがたまっていた。
そんな中で、ゆっくりする時間がほしいと思っていた。
だから、練習も真剣に取り組んでいなかった。
真剣に練習をしていなかったので、ジャンプの着地で、グキッてやってしまった。
「よし、これは、大きなケガだぞ。これで、休める」と思ったのですね。
半ば意図的だったそうで。
この記事を読んで、「悲劇のヒロイン」でも、なんでもないじゃないか。
自分の責任じゃないか、と思ったのですね。
自分には、才能があったけれど、それを伸ばそうとは考えなかったのでしょうか。
「そんなに努力もせずに、ぽんって世界チャンピオンのイスに座らされて、
本人もしんどかったのかも」と
記事に書いていますが。
才能のある人だから、
「もうちょっとがんばれたんじゃない」とも
書いています。
鈴木明子さんの頑張りを見ていて、太田由希奈さんは、どう思ったのでしょう。
と記事に書いていますが。
確かに、鈴木明子さんは、根性の人です。
でも、病気なら治るけれど、完治しない骨挫傷だと、
もう、頑張れないと思うのですが。
あの2003年の4人が揃った写真は、太田由希奈さんの実家の居間の壁に、
7年間、ずっと掲げたままだそうですが。
その写真を見て、今、太田由希奈さんは、どう思うのでしょうね。
私個人的には、日本の女子選手は、ジャンプで目立った選手ばかりだったので、
そうではない、太田由希奈さんの、世界で活躍する姿を見たかったのですが。
でも、新採点方式だと難しいですかね。
太田由希奈さんと安藤美姫さんの関係は、
芸術性のカタリナ・ビット選手と
ジャンプの伊藤みどりさんの関係のようですね。