ほかの人のブログには、「泣いた、跳んだ、つかんだ」というタイトルで
1月8日付の朝日新聞に、浅田真央さんの特集記事が載っていた、と書かれていましたが、

大阪本社の朝日新聞には、記事の内容は同じですが、
タイトルが違うタイトルで、
使われている浅田真央さんの写真も、違う写真で記事が載っていました。

そのタイトルは、
「逃げない心で恩返し」です。

私の感想は、大阪の朝日新聞の方が、いいタイトルだと思うのですが。

ほか人のブログと重複しますが、一応、記事の全文を載せます。


myバンクーバー五輪
「逃げない心で恩返し」浅田真央(19)フィギュアスケート

 「バンクーバーに行きたくない」と言ったことがある。1年前のことだ。
 2009年2月にバンクーバーで開かれた四大陸選手権。
五輪本番のリンクを体験できる貴重な機会だった。
大会前になって「出たくない」と言い始めた。
姉の舞が「あんな真央は初めて」と振り返るほどの「大事件」だった。
 2ヶ月ほど前の12月に韓国で行われたグランプリ(GP)ファイナルで、
浅田は金妍児(キムヨナ)に競り勝って、3季ぶりにタイトルを奪還していた。
「あれですべての力を出し尽くしちゃった」。
言わば「燃え尽き症候群」のようなものに陥っていたのかもしれない。
 「でもなあ……。みんなは私が出ると思ってるし、期待されてるし、
出なかったら申し訳ないよね」。
ため息交じりにつぶやいて、結局はバンクーバーへ向かった。
中途半端な気持ちで臨んだ四大陸選手権は3位。続く世界選手権(ロサンゼルス)も4位。
シニアで表彰台を逃したのは初めてだった。
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 「あの時のこと、本当に反省してます。『出たくない』と言った時点で気持ちが逃げていた。
出場すると決めたからには、万全の状態で、本気で、練習しないといけない。
スケートは私の一番好きなもので、生活の一部。もう二度とあんなことはしません」
 15歳でGPファイナルを制し、世界へ華々しく飛び出した。
初出場の07年世界選手権は銀メダル、08年には日本で5人目の金メダリストに輝いた。
一見、順風満帆。だが実際には、大きな波も小さな波もあった。
ただ、それを人に見せなかっただけだ。
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 初めて人前で「スランプ」をさらしてしまったのが今季だろう。
トリプルアクセルジャンプが決まらず、
前半戦のGPシリーズ2戦で思うような結果は残せなかった。
常連だったGPファイナル出場を逃し、五輪の切符は年末の全日本選手権までもつれ込んだ。
 4連覇を飾った全日本だったが、開幕の3日前には
「何もジャンプが跳べなくなってしまって、焦りがあった」という。
練習で泣いた。転んだ。それでも起き上がって跳び続けた。
苦しみ抜いてつかんだ、初めての五輪だ。
 「本当に待ち望んでいた。周りの人も待ち遠しかったと思う。
金メダルだけがすべてじゃないけれど、
小さな頃からこの大きな目標に向かってがんばってきた。
支えてくれるたくさんの人に恩返しできる場所が、五輪だと思う」
 バンクーバーに乗り込む気持ちは、昨年とは明らかに違う。
 「今は早く試合に出たい」
(坂上武司)


 2008年のGPファイナルで「燃え尽き症候群」に陥ったというのなら、
その直後の全日本選手権は、182.45という低い得点で優勝しています。
3Aは2回とも回転不足に、3F+3Loの3Loも回転不足になっています。
フリーでは2位、総合でかろうじて1位になっています。
やっぱり「燃え尽き症候群」が原因だったのですかね。

「燃え尽き症候群」といえば、2004年の世界選手権で優勝した荒川静香さんが、
同じようなことを言ってました。

世界選手権で優勝して、もういい、もう終わった、と。

でも、周りが許してくれなかったのですね。
あと2年、オリンピックまで頑張れ、と。
でも、2005年の世界選手権は9位。
これがバネになって、トリノまで頑張ったわけです。
なんか、荒川静香さんと浅田真央さんの軌跡、
似てますね。