父性と慈愛
日本の象徴の富士山。
青い空にくっきりと浮き出ている富士山は、凛として気高さを感じさせます。
これはやはり富士山が持つ霊的な美しさによるものでしょう。
そしてその富士山から受け取るイメージが、”父性”です。
男性的でありながら、その中に、柔らかく包み込むような慈愛を含んでいます。
ただ強いとか能動的だけではなくて、本来は慈愛で包み込む大きな暖かさがあります。
これは女性の母性とは違います。
この”父性”を見失ってしまったゆえに、めんめんと続いてきたさまよう歴史でした。
何をさまようかというと、愛を求めてさまよってきたのです。心の支えになる、愛です。
女性の包み込むような、育む愛と共に、人が求めてやまなかったのは、”しっかりと受け止めてくれて、ブレないで、核となるような揺らがない愛”です。
男性が頼りない、というのも、もともとこのしっかりとした愛があれば、この愛で愛されてきたなら、もちろん男性らしく堂々と立つことのできる男性になっていたことでしょう。
ですが、残念ながら、この父性はありませんでした。
誰でも感じる心の空洞。
無いものは、受け取りようがないし、心に大きな埋めることができない穴が空いたままさまようわけです。
いくら女性が頑張っても、男性の”父性の愛”、”慈愛”はとって代わってやることはできません。
”男性の頼り甲斐のある逞しさ、大きさ、包容力、強さ、愛の大きさ、決断力、行動力、女性や子供を守る愛”など、これは男性だからですし、これをみんな求めてきたんですね。
これをこの富士山に重ねて見てしまいます。
富士山から、この”暖かい慈愛に溢れた、父性のエネルギー”が流れ出て行っているようです。
それを感じます。
そして、この愛で新しい世界が満たされますように。
