でっちあげの歴史と本当の歴史
世界中にあるこうした美しいお城や建物。
その壮大さと華麗な装飾、美しいデザイン、色彩、どれをとっても現代において真似することも困難なものばかり。
有名なあのインドの”タージマハール’’にしても、フランスの”ベルサイユ宮殿”にしても、現代ではできない、作れないものばかりです。
全てが芸術で、どうやってそれを作り上げることができるのかと、不思議に思わないのが不思議に思えるくらい完璧に作られています。
芸術家が一人や二人では絶対無理で、では何十人、いや何百人でも無理です。
あの規模で、あの美しさをちりばめて完璧に作り上げるのは、やはり進化した人たちでないとできない事業です。
しかもどうやって石を運び組み立てていくのかというところをとっても、テクノロジーがなかった時代にどうやってやったのでしょう。
ノミとか手押し車とか、馬を使い、なんの技術や訓練もされていないような人たちを集めてやり遂げることができたらしいのですが、頭を冷やして柔らかくしてみると、”無理”ということが理解できます、いやできないとおかしいのではないでしょうか。
そうやって歴史を見直すと、この世界中に散らばっているこうした説明がつかない建物が一体何を伝えているのかが見えてきます。
”歴史によると、最初の写真は1848年のサンフランシスコ。
もう一つの写真は、実際のタータリアが破壊される前のもの。建物に比べて人々のサイズに気づけるでしょうか。
原始的な移住してきた人がハンドツール、馬やカートを持ってきて、一時的な世界のためにこれを作ったと信じるさせようとしています。その後フェアーが終わると、ダイナマイトでこれを吹き飛ばしました。1899年にサンフランシスコのシティーホールが作られたとして、その後すぐ後に1906年の地震で壊されてしまったということです。”
全くのナンセンス。
歴史は都合のいいように作られているものと、変えることのできない真実の歴史とがあります。
嘘も何百回と言われると、真実になってきます。
しかもこのメイトリックスでは、そうした世界を作るために、本当のアイデンティティを破壊してしまい、そこに彼らの思い通りの世界を知識として埋め込んでいきます。
私たちの本当のアイデンティティが何かが現れてきます。