姉と縁を切りました | 理解されない苦しみ~場面緘黙症と生きる~

理解されない苦しみ~場面緘黙症と生きる~

私は子供の頃、場面緘黙症でした。そのまま大人になり、結婚をした今も緘黙症の後遺症が残っています。自分の人生を振り返りつつ、これからも緘黙症とうまく付き合って生きていく道を探したい。そしてこのブログによって、少しでも場面緘黙症の理解が深まることを祈ります。

久しぶりのブログになります。
昨日、姉と縁を切る形となりました。
私は長年、姉が嫌いでした。姉は私を妬みます。「私はこれこれこうなのに、あなたはいいわね」と。確かに姉は、早くに結婚してから苦労をしていますが、私だって緘黙症で、子供の頃からずっと苦しんでいるのに。最悪の青春時代だったのに。これからもずっと付き合っていかないといけないのに。いくら訴えた所で、理解してもらえることはなかった。そして何かにつけて私を妬み、私の邪魔をしてくるのです。本人に自覚はないみたいですが。
自分の考えが全てで、同じように考え行動しない私は、頭のおかしい非常識者扱い。「姉としてあんたのために言ってやってる」が常套句。「私が言わなきゃ、誰があなたを正してあげられるの。」「両親のためにも。あなたのためにも。私が言ってあげたくちゃ。」と、姉としての使命に燃え、何かにつけて私を叱り付けてきます。それだけならいいけど、その姉の思いを受け入れないと実行しないと「あんたはおかしい。感謝されるのが当然だ。」とまで言い出すのです。そこまで言ったら、ただの押し付けです。どう受け取るかは相手の自由だと思うのです。それに、いったい私がどんだけのことをしでかしたというのか。私には私の考え、やり方、順番があるだけで、別にそれが世の中にとって、相当のはみ出し者や非常識者という訳ではありません。姉が私の事を非常識やおかしいと思えば、世の中全てが私を同じように思うと信じて疑わないようです。長年それが繰り返えされ、ある時私は悟りました。「この人は自分に酔ってるな」と。電話の向こうで、ひどい暴言を吐きながら私を叱り付けている姉からは、本人の言う「妹のため」という愛情は感じられませんでした。今まで出会った、どんなに厳しい人でも、本当に私の事を考えて言ってくれている人はわかります。姉は「姉として妹を正しい方向に導いてあげている立派な姉」「妹思い家族思いの優しい姉」そんな自分に酔っているのです。ただの自己満足なんです。私の気持ちなど完全に無視しているのです。所詮、自分しか見えていないのです。自分しか見えてないのは構わないけど、それを私に全面的に向けてくるから手に負えないのです。
最後の最後まで、姉は同じ事しか言いませんでした。一生気付く事はないでしょう。姉は妹の私にしか、それを向けることはないのだから。