昭和のノスタルジア | It's a small WORLD!

昭和のノスタルジア

私は昭和生まれですが、いわゆる昭和期を生きた訳ではないので、昭和がどんな時代だったかわかりません。

それでも、昭和期を思わせるようなセピア色の懐かしい雰囲気は何となくわかる気がする。


先週、国連機でフィールドに送り出すことになっていた新しいスタッフのヘレン。

朝7時半に事務所に来てもらったものの、フィールドは前夜に雨が降り、地面がぬかるんで

飛行機が着陸できる状態ではないため、フライトはキャンセルされてしまいました。

だいぶ離れた自宅からバイクタクシーに乗ってきた彼女に、フライトがキャンセルされた旨を伝えるも、
「じゃ、また」と再びバイクタクシーで帰らせるには心苦しかったので、車で送ってあげることに。
ジュバでは、四駆ではなくセダンに乗っているので、道の悪いへレンの自宅の方面は行きたくない。

なので、大通りで彼女を降ろすつもりでいたら、「父親に会いに来て」と言われてしまい、

車を大通りに止めて歩いて家へ向かうことにしました。


グデレというこの地域は、ジュバでは多くのスーダン人が住む住宅地。
小高い丘にあるヘレンの家は、周辺の家よりも良い造りで、ベランダもありました。
とはいえ、周りを見渡してもわらぶき屋根のTukulなどなく、規模こそ小さいものの、

木材や石や骨材やトタン屋根の家ばかり。


2005年和平合意から4年半。外国人が多く外国人による経済活動が多いジュバだとよく言われますが、

それでもスーダン人が定住し生活基盤を整えている姿を目にしました。


隣近所との物理的・精神的距離が近く、子供たちはどの家の窓からも見える広場で遊んでいます。
悪いことをしないように、ご近所みんなで見守っている感じ。

部屋数が少ないので、子供たちはござを敷いて朝食を食べていました。

そんなスーダン人の住宅地に迷い込んだカワジャの私は、お父さんと挨拶し、砂糖たっぷりの紅茶と

揚げパンの朝食をスタッフと食べ、朝からお客さんが来て朝食を一緒に食べるなんてことは日常茶飯事

なのか、あまり不思議がる様子もないご近所さんたちに挨拶し、事務所に戻りました。

これ以降、家族ぐるみのお付き合いが始まったと言うべきか、お父さんやお兄さんから電話がかかってくる。


こんな風景は日本の昭和時代にもあったんだろうか。私はこういう生活の一風景が大好きです。

アフリカに限らず、アジアでも見かける風景だと思いますが、何となくノスタルジックな気持ちにさせられる。

隣近所との距離の近い懐かしい雰囲気。


もう1つ、アフリカ文化の特徴として、大家族主義(勝手に銘々)というものがある。つまり、子沢山。
1つの理由としては、子育ての家庭で何人か幼くして亡くなってしまうことがあるから。

そして、将来自分の世話をしてくれる人が必要だから。

もう1つの理由は、僕の物は、みんなの物。

1つのパイをいくつもに分割して、家族、叔母・叔父、いとこ、親戚…と困っている人に

少しずつ経済的援助をしていきます。


また、どんなに自分の家族が貧しくても、自分の娘や息子以外の子供の教育費を

サポートすることもあります。なぜなら、貧しい自分よりももっと貧しいから。

そしてまた、恵まれない環境に置かれている子供を、すでに5人、6人いる実の子供に加えて、

養子として受け入れることですらもある。


Social responsibility、社会的責任とでもいうんだろうか。こういう太っ腹の精神。

私の知る限りでは日本ではそういう文化や精神は知らない。

もしかしたら、それこそ私の知らない昭和期やそれ以前にはあったのかもしれないけれど。

そうやって、決してもともと大きくないパイを細かく分割しなくてはいけないから、

結果として手元に残るものが少なくて、なかなか貧困から抜け出せなかったり、
いっこうに貯金がたまらない。すなわち、経済的な充足感は得られない。
でも、考え方によっては、大家族があって、愛し気にかけてくれる(Careしてくれる)親戚がいて、

精神的な充足感を多く得ているのかもしれない。
そんな充足感、羨ましいなと私は思う。


このノスタルジックな村社会と大家族主義を、アフリカを去るときには恋しく感じるんだろうな。