菅原孝標の女著の「更科日記」の中から、面白さを感じた箇所を紹介しています。
 
 前回は時雨降る夜と出会い、同僚女房と三人で、四季の風情を語り合います。その別れた後、作者「誰れと知られじと思ひし」と感慨を述べています。資通に好意を抱いたのに氏素姓を知られたくないと思う、35歳にもなってまだ少女のような気持を持っていたのでしょうか。今回はその続き、2回のせつない出会いが描かれています。
 
原文
またの年の八月に、内裏(うち)へ入らせたまふに、夜もすがら殿上にて御遊びありけるに、この人のさぶらひけるも知らず、その夜は下に明かして、細殿の遣戸を押しあけて見出だしたれば、暁がたの月のあるかなきかにをかしきを見るに、沓のこゑ聞こえて、読経などする人もあり。読経の人は、この遣戸口に立ち止まりて、ものなど言ふに応へたれば、ふと思ひ出でて、「時雨の夜こそ、片時忘れず恋しくはべれ」と言ふに、ことながう答ふべきほどならねば、

  何さまで思ひ出でけむなほざりの
    木の葉にかけし時雨ばかりを

とも言ひやらぬを、人々また来あへば、やがてすべり入りて、その夜さりまかでにしかば、もろともなりし人たづねて返ししたりしなども、のちにぞ聞く。「『ありし時雨のやうならむに、いかで琵琶の音のおぼゆるかぎり弾きて聞かせむ』となむある」と聞くに、ゆかしくて、われもさるべきをりを待つに、さらになし。 
 春ごろ、のどやかなる夕つ方、参りたなりと聞きて、その夜もろともなりし人とゐざり出づるに、外に人びと参り内にも例の人びとあれば、出でさいて入りぬ。あの人もさや思ひけむ、しめやかなる夕暮れを、おしはかりて参りたりけるに、騒がしかりければ、まかづめり。

  加島見て鳴戸の浦に漕がれ出づる
    心は得きや磯のあまびと

とばかりにてやみにけり。あの人柄も、いとすくよかに、世のつねならぬ人にて、「その人は、かの人は」なども、尋ね問はで過ぎぬ。
 
語句
細殿  庇の間を仕切って作られた部屋。
ゐざり出づる 座ったまま進む。客人に応対する際の女房の作法。
出でさいて 「出でさして」の音便。「出でさす」は「出で止す」。外出しかけて、それを中止する。
加島みての歌  加島は大阪府西淀川区神崎川の河口東岸。「加島」に「喧し(かしまし)」をきかせ、「間みて」を掛ける。「浦」に「裏」、「漕がれ」に「焦がれ」を掛けている。
 
口語訳
翌年の八月、祐子内親王が内裏にお入りになった時に、夜を徹して殿上にて管弦の会が催されました、その時この人(資通)が伺候していたということを知らずに、その夜は局で夜を明かして、細殿の遣戸を押し開けて外の景色を見出していたら、有明の月が淡くかすかに美しい風情であるのを見ていると、沓の音が聞こえて、読経しながら歩いて人もいる。読経の人(資通)は、この遣戸口で立ち止まり、何か話しかけてくるので応答すると、その人は昨年の時雨の夜の相手であると思い至り、「時雨の夜のことは片時も忘れないでいます」と言ったのですが、言葉数多く返事をしている場合ではないので、
  どうしてそれほどまでに恋しく思い出されたのでしょう。
あの時は木の葉に降りかかる時雨ほどの、ほんのおざなりのお気持
でしたでしょうね。
と詠んだがそれも言い終らぬうちに人々がまた来合わせたので、そのまま局の奥に身を引いて、私はその晩退出してしまいました。時雨の夜一緒に応対した女房を訪ねて返歌をことづけた、あとになって聞きました。「『あの時の時雨が降るような夜に、ぜひとも覚えているかぎりの琵琶を弾いて聞かせたい』とあの方がおっしゃっていた」と聞いたのですが、その琵琶の音を聞きたいので、そのような機会を待っていたのだが、一向にそんな折もありませんでした。
 翌年の春、のどやかな夕方、あの人が参上しているようだと聞き、あの時雨の晩一緒だった女房といざり出ると、外には人々が来て、御簾の内には例によって女房たちがおり、外に出ようとしたがやめてしまった。あの人もやはり遠慮したのであろうか、客人などがいない物静かな夕暮れを見はからって参上したのに、騒がしかったので退出したようである。 
  岸辺の海人よ。加島を見て鳴門の浦へ漕ぎ離れてゆく私の気持ちが
    分かったであろうか。騒がしい人目をぬい、思いこがれて戸口まで出てき
     た私の気持ちがお分かりでしょう。)
と詠んだだけでそのままになってしまいました。あの人は人柄もたいへん誠実で、世間一般の浮ついた点がなく、その後会うことはなかったのです。
 
感想
 作者は源資通のことを「誠実で浮ついたところがない」と述べていますが、実際はどうだったのでしょうか。資通と有名な女歌人相模との関係はよく知られています。作者はそのような関係を当時は知らなかったのかもしれません。この作品を書いた作者晩年の時点では知ってしまったかもしれません。しかし、いずれにしても作者はこの心ときめいた経験を事実以上に美しく記したのではないでしょうか。
 相模は「恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ 」と詠んだ恋多き歌人です。