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姫空木
 DHCテレビで渡部昇一『書痴の楽園』という番組が放映されています。ちなみに書痴とは、読書ばかりしていて、世の中のことにうとい人。② 書物の収集に熱中している人、をいうが、渡部氏が自分を書痴と称しているのであろう。この番組は、「巨人の頭脳」ともいうべきその書庫に、女優・宮崎美子が訪れ、渡部氏と本について語り合うトーク番組。渡部氏の本への愛情とこだわり、独自の作家論などを聞き、「知の巨人の頭の中」をのぞき見する…。大人の本好きには、たまらない30分番組です。毎週火曜日更新で現在まで45回更新されている。
 現在はラストメッセージを放送中で、第一回目を以下でみられます。
 
 渡部氏はこの番組の中で、漱石、啄木、松本清張、藤沢修平、三島由紀夫、パスカル、ハーン、芭蕉などを取り上げているが、以下は芭蕉に関する番組。
 
     
 
 
 この中で印象に残ったメッセージとして「俳句は発見」ということがある。英語で詩を"poem"、詩人を"poet"というが、この語源はギリシャゴ語の"poiema"、「作られたもの」を意味する。要するに詩は作るもの。それを日本では作るものではなく「発見」だと言ます。渡部氏は「おくのほそ道」の芭蕉の俳句を読んで、そのように感じたのでしょう。「おくのほそ道」での芭蕉の句の特長「は「現実」と「心の世界」の取り合わせ。例えば、
 
     夏草や兵どもが夢の跡
     涼しさやほの三か月の羽黒山
     有難や雪をかほらす南谷
 
などなど。太字が現実。
 
 「夏草」(現実)を見て、「兵どもが夢の跡」(心の世界)と感じた。心の世界に感じるとは、言いかえれば発見すると言ってもよいのではないでしょうか。その発見を読んだ人が「なるほどそうだなあ」と感じるような句を詠みたいものです。
 
 以下は4年ぐらい前に詠んだだ句。とりあわせではありませんが、
 
         いつの間に燕の飛ばぬ街となり    とっこ
 
 ものすごい数の俳句が詠まれています。現実的には新しい発見は難しい。