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 枕草子を読んでいます。今回は清少納言の宮仕え観・結婚観が述べられます。
 
(原文)
 おひさきなく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて、なほさりぬべからむ人の娘などは、さしまじらはせ、世の有様も見せ習はさまほしう、内侍(ないし)のすけなどにてしばしもあらせばやとこそ覚ゆれ。
(口語訳)
  将来にたいした希望もなく、きまじめに、(夫の出世などを願い、ひたすら家庭をまもっているような)、形だけの幸せを求めている女性は、うっとうしくて、軽蔑したくなるように思われて、やはり相当の身分の人の娘などは、宮仕えさせて、世間の様子も見習わせさせたい、内侍の典侍などに少しの間でもつかせたいと思われる。
(原文)
 宮仕する人を、あはあはしう悪きことに言ひ思ひたる男などこそ、いとにくけれ。げにそもまたさることぞかし。かけまくもかしこき御前をはじめ奉りて、上達部(かんだちめ)・殿上人、五位・四位はさらにもいはず、見ぬ人は少くこそあらめ。女房の從者(ずさ)、その里より來る者、長女(おさめ)・御厠人(みかはやうど)の從者、たびしかはらといふまで、いつかはそれを恥ぢ隠れたりし。殿ばらなどは、いとさしもやあらざらむ。それもあるかぎりは、しかさぞあらむ。
(口語訳)
  宮仕えをする女性を、軽薄で悪いことだと言ったり思ったりする男は、たいへん憎たらしい。しかしそれはもっともなことなのかも知れない。口にするのもおそれ多い天皇さまや中宮さまをはじめとして、上達部・殿上人、五位・四位は言うまでもなく、(宮仕えする女性が)知らないままでいる人は少ないでしょう。女房の従者、実家から来る者、長女・御厠人の従者、卑しい人たちまで、いつ、顔を合わせるのを恥じて隠れたりすることがあったでしょうか。殿方などは、まったくそうではないでしょうか。殿方も宮仕えする限りは、誰にも顔を合わせるでしょう。
(原文)
 上など言ひてかしづきすゑたらむに、心にくからず覚えむ、ことわりなれど、また内裏の内侍のすけなどいひて、をりをり内裏へ参り、祭の使ひなどにいでたるも、おもだたしからずやはある。さてこもりゐぬるは、まいてめでたし。受領の五節(ごせち)いだすをりなど、いとひなび、いひ知らぬことなど、人に問ひ聞きなどはせじかし。心にくきものなり。
(口語訳)
 奥さまなどと言って大切にお仕えする場合に、(宮仕えした女性は顔を知られているので)、おくゆかしくないと思われるのはもっともだけれども、やはり内裏の内侍のすけなどといって、時々内裏に参上し、祭の使いなどに加わったのも名誉でないことがあろうか。宮仕えした後に家庭に落ち着くのは、いっそう素晴らしいことだ。受領が五節の舞姫を奉る折に、とても田舎びて、言うに足らぬころ、(宮仕えの経験ある女性は)人に聞きはしないでしょう。おくゆかしいものである。
 
(感想)
 
 現代では専業主婦になるとしてもほとんどの女性は仕事を経験することでしょう。清少納言は、当時としては少数意見だったのかもしれませんが、宮仕えしたほうがよいと言っています。もっとも清少納言が言っているのは貴族階級の世界で、現代の上流階級がどうなのか判りません。 当時、「働く女性を、すれている、軽薄だ」と言う男性も多かったようですが、それでも清少納言はプラスの面が大きい言っています。
 もっとも清少納言自体も、すれていると見られていたのではないでしょうか。そこが彼女の魅力の一つなのですが。