今日はイースター。牧師の説教の中で語られたカソリックの晴佐久昌英神父による「天国の窓」という詩に感動。頭の中では判っているのだが、いつも自分でこじ開けようとする、今ではそれさえ諦めている。
天国の窓をさがして
あらゆる窓をあけてきた
華やかな窓も慎ましい窓も
見知らぬ異国の宿のきしむ窓も
今度こそはとひらいても
窓の向こうはいつもこの世
何度見ても同じ顔の
鏡の中の疲れた自分のように
どうして見つからないのだろう
努力が足りないのか
心が汚れているからか
天国なんて初めからないのか
ある朝目覚めると
窓があいていた
桃色の雲が光っていた
天国の窓だった
こちらからあけた窓は
すべてこの世の窓
天国の窓は
あちらがあける
あらゆる窓をあけてきた
華やかな窓も慎ましい窓も
見知らぬ異国の宿のきしむ窓も
今度こそはとひらいても
窓の向こうはいつもこの世
何度見ても同じ顔の
鏡の中の疲れた自分のように
どうして見つからないのだろう
努力が足りないのか
心が汚れているからか
天国なんて初めからないのか
ある朝目覚めると
窓があいていた
桃色の雲が光っていた
天国の窓だった
こちらからあけた窓は
すべてこの世の窓
天国の窓は
あちらがあける