徒然草を少しづつ読んでいます。7回にわたって兼好の恋や恋愛感を読んできましたが、今回からは兼好が述べる「人としての生き方」を読んでいきたいと思います。徒然草は700年も前に書かれたものですが、まだまだ現在でも通用する、日本人としてそうありたいことを、多く述べていると思います。今回は233段の寡黙、言葉づかいに関して。
 
(原文) 
 よろづのとがあらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少からんにはしかじ。男女・老少、皆、さる人こそよけれども、ことに、わかく、かたちよき人の、言(こと)うるはしきは、忘れがたく、思ひつかるゝものなり。
 よろづのとがは、なれたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり
 
(口語訳)
 すべてに難点がないようにしようと思うならば、なにごとについても誠実さがこもっていて、人を区別せず、誰に対しても同じように、礼儀正しく、口数が少ないのにこしたことはない。男でも女でも、老人でも若者でも、みんな、そのような人がよいが、とくに若く、容貌の美しい人が、言葉づかいがきちんとしているのは、いつまでも忘れがたく、自然と心がひきつけられるものである。
 すべてのあやまちは、ものなれたようすで名人ぶり、よい地位を得て得意がり、人を無視することにあるのだ。
 
(感想)
 会話はもちろん意思が通じることが第一ですが、それだけではだめで兼好が言っているように、言葉づかいをきちんとしたいものです。いつの世でも言葉が乱れていると言われるのでしょうが、現在は確かに乱れているなと感じます。その第一の原因は、親にしろ、教師にしろ、上司にしろ「言葉づかいをきちんとしなさい」と言わないからではないでしょうか。英会話を習わせる親はたくさんいると思いますが、子供の言葉づかいを正しく教える親はどれくらいるでしょう。また、親も、教師も正しい言葉づかいができなければ悪くなる一方です。
 テレビなどで美しい女優さんが話すのを聞いていて、きちんとした言葉づかい、、正しい敬語を使っているのを聞くと、兼好法師ではないですが心が引き付けられてしまいます。