去来抄を読んでいます。今回は先師評の40、41、42回目。
 
40  (原文)
 前  ぼんとぬけたる池の蓮の實
     咲く花にかき出す椽(えん)のかたぶきて     ばせを
 
 此前句(まえく)出(い)でける時、去來曰く「かゝる前句をのがさずつけんにはいかゞ」と、先師の付句を所望しければ、かく付け給ふなり。
 
(口語訳)
 この前句が出たとき、私去来が「このような前句の勢いをのがさずに付けるにはどうしたら良いでしょう」と言って、先師に付句をお願いしましたところ、このようにお付けになりました。
 
(感想他)
蓮は蜂巣というように穴があいていて、本当かどうか判りませんが、そこからポンと音を立てて蓮の実が落ちたというのが前句。状況は秋。そこに「花が咲いていたころ持ち出した縁台が傾いている」と、まだ秋の状況が続いているともとれるし、春に「花が咲いている今出した縁台が傾いている」と春に季節を転じているともとれる。付け句の場合状況が固定されるより複数の状況が考えられるほうがよかったようです。
 
41  (原文)
  前 くろみて高き樫木の森
     咲く花に小さき門を出つ入りつ    ばせを
 
 此前句出でける時、去來曰く「前句全体樫の森の事をいへり。その氣色を失はず、花を付けらん事むつかしかるべし」と先師の付句を乞ひければ、かつ付けて見せたまひけり。
 
(口語訳)
  この前句が出たときに、私去来は「前句全体では樫の森のことをいっています。その景色を失わずに、花の句を付けるのは難しそうです」と言い、先師の付句をお願いしましたら、このように付けて見せてくださいました。
 
(感想他)
 歌仙には、花、月、恋の定座(じょうざ)があります。でも決まった順番を厳密に守る必要はなく順番が変わるのはかまわなかったようです。ここではそろそろ「花」の句が欲しくなったのでしょう。前句が樫の期の森なので花の句はつけにくかったのでしょう。そこで去来は芭蕉にお願いしました。芭蕉は樫の木の森は神社の境内などと見立て、そこに小さい門があり門の外側には花が咲いていて花を見るために出たり入ったりしていると詠んだのです。
 
42  (原文)
   前 あやのねまきにうつる日の影
     なくなくも小さきわらぢもとめかね    去來
 
此前出でて座中暫く付けあぐみたり。先師曰く「能き上臈の旅なるべし」。やがて此句を付く。好春(かうしゅん)曰く「上人(うえびと)の旅ときゝて言下(ごんか)に句出でたり。蕉門の徒、修練各別也」。
 
(口語訳)
 この前句が出て、座の連衆はしばらく付けあぐんでいました。先師は「美しくて身分の高い女性の旅でしょう」とおっしゃいました。私はこの句を付けました。好春が「身分の高い人と聞きて、すぐにこの句が出てきましたね。蕉門の人たちの修練は特別なものがあります」と言いました。
 
(感想他)
「あや」とは綾織りのことだと思いますが、ここでは材料のことは判りません。ここで芭蕉は「あやの寝巻を着ているのは上臈としましょう」と言った途端に、状況が定まりました、絹の綾織りの寝巻を着た上臈が優雅な朝を迎えている。そこで去来は「使いの者が出発に間に合わせるために、その上臈に合う草鞋を探して苦労している」と付けたのです。好春はこういう良い付句がすぐに出てくるのは蕉門の修練が優れているからだとと自画自賛。しかし自画自賛しているのは去来である。