去来抄を読んでいます。今回は先師評の33回目。
 
(原文)
 兄弟のかほ見るやみや時鳥    去來
 
 去來曰く「是句は五月廿八日夜、曾我兄弟の互に貌見合せける比、時鳥などもうちなきけんかしと、源氏の村雨の軒端にたゝずび給ひしを、紫式部がおもひやりたるおもむきをかりて、一句を作れり」。先師曰く「曾我との原の事とはきゝながら、一句いまだ謂ひおほせず。其角が評も同前なり」と、深川より評有り。許六曰く「此句は心餘りて詞たらず」。去來曰く「心餘りて詞不足といはんははゞかり有り。たゞ謂ひ不應也(いひおほせざるなり)」。丈草曰く「今の作者はさかしくかけ廻りぬれば、是等は合點の内成るべし」と、共に笑ひけり。
 
(口語訳)
 私去来は「この句は5月28日の夜に、仇打ちにでかける直前に、曾我兄弟が互いに顔を見合わせたころ、ホトトギスが鳴いたにちがいないと、光源氏がにわか雨を避けて軒下にたたずんでいた時を、紫式部が想像した趣を借りて一句にしました」と言いました。先師は「曾我兄弟のことを詠んだのはわかりますが、この一句はまだ言い尽くしていない。其角の批評も私と同じです」と言われました、深川からの批評にありました。許六は「この句は心余りて詞たらず」と言いました。去来は「心余りて詞不足という批評はおそれおおいことです。ただうまく表現できなかっただけです」と言いました。丈草は「今の俳諧の作者はこざかしく立ち回るので、これくらいは合格点をつけるでしょう」と言い、私と一緒に笑いました。
 
(語句)
曽我兄弟:二人が父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を富士の巻狩に乗じて殺害したのは、建久4(1193)年5月28日。
光源氏がにわか雨を避けて…:光源氏が紫の上の死に際して出家の覚悟を決めていくシーン。「亡き人を偲ぶる宵の村雨に濡れてや来つる山ほととぎす」を引用。
心餘りて詞たらず:在原業平の歌などを評するときに用いられた言葉。
合点:がってん。和歌・俳諧などを評して、よいものに点をつけること。
 
(感想他)
 芭蕉や基角は「何を言いつくしていないと」と言っているのでしょうか。多分顔を見合わせた曽我兄弟が、その時を何を感じたのかだと思います。曽我兄弟は、その時、死んだ父のこと、今までの苦労、それとも共に死のうと思ったのでしょうか。それは誰にも判りませんが、そこを句の中にいれないと句にならないと言っているのでしょう。芭蕉もどう直せばよいか言っていませんから、修正はむずかしい句なのだと思います。
 言いたいことをずばっと表現しなさいと言われていますが。言いたいことが無いのは句になりませんが、言いたいことがあるのにうまく表現できないことばかりです。