去来抄を読んでいます。今回は先師評の20回目。
 
(原文)
  岩鼻やこゝにもひとり月の客    去來
 
 先師上洛の時、去來曰く、「洒堂(しゃどう)は此句を月の猿と申し侍れど、予は客(きゃく)勝(まさ)りなんと申す。いかゞ侍るや」。先師曰く、「猿とは何事ぞ。汝、此句をいかにおもひて作せるや」。去來曰「明月に乗じ山野吟歩(ぎんぽ)し侍るに、岩頭(がんとう)一人の騒客(さうかく)を見付けたる」と申す。先師曰く「こゝにもひとり月の客と、己と名乗り出でたらんこそ、幾ばくの風流ならん。たゞ自稱の句となすべし。此句は我も珍重して『笈の小文』に書き入れける」となん。予が趣向は、猶二三等もくだり侍りなん。先師の意を以て見れば、少し狂者の感も有るにや。退きて考ふるに、自稱の句となして見れば、狂者の様もうかみて、はじめの句の趣向にまされる事十倍せり。誠に作者そのこゝろをしらざりけり。
 去來曰く、『笈の小文集』は先師自撰の集也。名をきゝていまだ書を見ず。定めて草稿半ばにて遷化ましましけり。此時申しけるは「予がほ句、幾句か御集に入り侍るや」と窺ふ。先師曰く「我が門人『笈の小文』に入句、三句持たるものはまれならん。汝、過分の事をいへり」と也。
 
(口語訳)
 先師が京都にいらっしゃった時、私去来は「洒堂はこの句の下五を『月の猿』としたら良いと申しましたが、私は『月の客』のほうが優れていると申しあげ、いかがでしょうか。」と言いました。先師は「猿とは何事ですか。あなたはこの句をどのように思い作ったのですか。」とおっしゃいました。去来は「明月に乗じて俳句を作りながら山野を歩き回っていた時に、突き出た岩の突端に一人の風流人を見つけました」と申し上げました。先師は「ここにも一人の風流人がいますと、自分のこととして名乗り出ればこそ、少しは風流な句ります。これは自分を詠んだ句だと言いなさい。この句は私も良い句だと思うので自選句集『笈の小文』入れようと思う」とおっしゃいました。私の発想は先師に比べると二等も三等も劣っていたようです。先師の心でこの句を見れば、少し風狂の感じもあります。先師の前から退出して考えてみますと、「月の客」を自分自身として読むと、酔狂人の雰囲気も浮かんできて、作句の時より十倍も高い趣を感じることができる。ほんとうにこの句の作者である私は、そういう心がわかりませんでした。
 
 私去来は、一言いっておきます。「『笈の小文集』は先師の自選集です。その名前は聞いていますが、まだその実物を見たことがありません。ちょうど草稿の半ばでお亡くなりになってしまったのでしょう。」「私の発句は何句かその句集に入っていますか」と質問しましたところ、先師は「私の門人で『笈の小文』に三句も入句した人はまれです。あなたは、贅沢なことを言っています」とおっしゃいました。
 
(語句)
岩鼻:岩の突端。突き出た岩のはし。
吟歩:詩歌をうたいながら、また、詩歌をつくりながら歩くこと。
騒客:《「騒」は漢詩の一体》詩人。文人。また、風流人。騒人。
笈の小文:まぼろしの句集。まだ発見されていない。荷兮が芭蕉の死後「笈の小文」という紀行文を編纂したがここでおう『笈の小文』ではない。
 
(感想)
 芭蕉は「あっ、岩鼻に一人の風流人がいる」ではなく、「ここ岩鼻に私が月の客となっている」と詠んでこそ風流なのだ」と言っています。「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」という句で、柿を食べているのは子規ですが、他人が柿を食べている光景を子規が眺めているとすることもできます。しかし、それでは趣がないと芭蕉は言っているのでしょう。
 俳句や短歌はあくまでも自分の思いを述べるものだと思います。客観写生であったとしても、その光景を切り取るのは自分です。写真を撮るのに似ているかもしれません。何人かが同じ場所に立ち撮ったとしても、人それぞれの写真になるはず。あくまでもその場面を切り取る人の思いが写真に反映されるはずです。