去来抄を読んでいます。今回は先師評の16回目。
 
(原文)
  月雪や鉢たゝき名は甚之丞    越人
  (つきゆきやはちたたきなはじんのじょう)
 
 去来いはく、「猿みの撰のころ伊丹の句に『彌兵衛とはしれど憐や鉢扣(はちたたき)』云ふ
 
有り。越が句、入集(にっしゅう)いかゞ侍らん」。先師いはく「月雪といへるあたり、一句働(は
 
たらき)見えて、しかも風姿有り。たゞ「しれど憐や」といひくだせるとは各別也。されど共に鉢
 
扣の俗體を以て趣向を立て、俗名を以て句をかざり侍れば、尤(もっとも)遠慮有りなん」と也。

(口語訳)
 去来が「猿蓑を編集してたころの伊丹の句に『彌兵衛とはしれど憐や鉢扣』というのがあります。越人の句を選をどういたしましょうか」と言いますと、先師は「月雪と言ったところが、この一句を働かせていて、しかも風情があります。単純に「しれど憐や」と言い下しているのとは、まったくの別物です。しかし、両方とも鉢叩きの俗の部分に着目して句を発想し、俗名によって句を修飾しているのですから、今回は入選は差し控えましょう」とおっしゃいました。
 
(感想・他)
 芭蕉は鉢叩きの憐れさを表現するのには、伊丹の「しれど憐や」と直接的に表現するより、「月雪や」と間接的に表現している越人の句の方が趣があると言っているのでしょう。でも俗の部分で鉢叩き名前を入れる個所が同じ発想なので落選とします。

(語句)
 鉢叩き(鉢扣)とは京都市中を陰暦の11月13日から大晦日まで、空也念仏を唱えながら托鉢して歩く修行僧。六波羅蜜寺や空也堂付近に住み、身分としては士農工商の下の非人の身分にあった。