自身の思考を発露する時にほんとうに受け取っていてほしい本懐を、さまざまな倫理で言葉の肉付けしてしまう。ただ私の本懐はあくまで原初的な衝動欲求であるのです。例をあげると、なにか自分自身のなかに大きく受け止めきれない感情に気がついて、忍び寄る気配を薄く背筋で感じたとき。ほんとうは聴いていてほしい、最早みみをかしてほしい。そして今この時を凌ぐ体温をあずかりたい。いっしょにいて美味しいもの食べていたい。
それだけのことだが、これをつたえるときにさまざま思考し、配慮のつもりであるものの相手方には煩わしい思いをさせてしまう。話が長い、言葉数が多い、暗いことが多すぎる。相手にも思考をしてもらうことをどこかで求めているかもしれない。他人と共生するってなんだろう。わからなくなることが多い。私を愛でているあの人と今ここで怪訝な面持ちでわからないものに向ける目を私に刺しているあの人、違うくて仕方がない。私は重たい感情をあの人から垂らしこまれても狼狽しないよう努めているはず。おたがい支えになる寄っかかり合えると思っていました。
伝え方も受け取り方もむずかしい。あの人のいうことは正しい。きっと
でも抑えきれないものが湧いたとき、あの人だけには受け取っていてほしいものでした。それを暗すぎる、依存しないでなどという言葉で抑えられてしまうと。もうなにも叶わないと感じるのが止められない。あらかじめお互い未完成であることは忘れないでいたいものの、、、。