〔『吹田くわいの碑(巻10国歌大観番号1839) 鈴木葩光書』:『千里 石ぶみの丘』:『千里南公園』:大阪府吹田市津雲台1丁目3Leica Q2(Leica Summilux f1.7/28mm ASPH.)〕


4.石ぶみの丘:『千里南公園』市民寄贈の歌碑・石碑を巡り日本の夏を楽しむ!:2024.08.04


連日猛酷暑の日々続き、蒸し暑い日本の夏本番!

 

先日(8/4)は、炎天下の昼下がりに

 

ご近所公園『千里南公園』にある

 

市民寄贈の歌碑・石碑を中心に

 

真夏の公園さんぽ💦

 

『千里南公園』は、吹田市土木部公園みどり室によると

 

1963年(昭和38年)2月7日に完成し大阪府の管理となり、

 

1972年(昭和47年)4月1日から吹田市で管理している

 

市民の憩い場☆彡

 

すでに半世紀以上も経った園内には

 

題名や作者も忘れられてしまったモニュメントや

 

市民から寄贈された歌碑・石碑などが

 

しずかに佇んでいます☆彡

 

雨の日も、風の日も、猛酷暑の日も

 

言葉を発することなく

 

ただひたすら静かに

 

四季を見守る歌碑の数々の続きを

 

ご一緒にお楽しみください・・・^~^v

                   

                    【つづく】              


【2024.08.04】

 

⑮吹田くわいの碑(巻10国歌大観番号1839) 鈴木葩光書

 

 

 為君山田之澤恵具採跡雪消之水尒裳裾所沾

 

読み下し文

 君がため山田の沢にゑぐ採むと
 雪消の水に裳の裾ぬれぬ

 

訓み

 きみがためやまだのさはにゑぐつむとゆきげのみづにものすそぬれぬ

 

現代語訳

 あなたの為に山の田の沢にゑぐを摘もうとして、雪どけの水に裳裾が濡れたことだ。

 

 

と詠まれている「ゑぐ」は、おもだか科の植物と考えられ、

吹田くわいはおもだかの根が大きくなった変種ですから、

万葉の時代にも歌われていたでしょう。

 

 

 

 

 

 思いでる鱧(はも)の骨切りすり流し
 すいたくわいに天王寺蕪

 

これは江戸後期の幕史で、狂歌師・戯作者として有名な『太田南畝』(寛延2~文政6年、別号、蜀山人・四方赤人)が大坂で食べた上方料理のうまさを回想した狂歌です。

 

 

「すいたくわい」は、『摂陽群談』『摂津名所図絵』『五畿内志』などにも紹介され、『大坂名物番付』には関脇になっています。京都の御所にも毎年献上され、貴人に賞味されました。
学名は牧野富太郎博士(文久2~昭和32年)の命名で、Sagittaria triforia L-forma Suitensis Makino といいます。「スイテンシス」は吹田に産するという意味です。
普通、「くわい」は奈良時代に唐から輸入されたものですが、「すいたくわい」は日本古来の植物です。
「すいたくわい」は、お正月には鴨型の藁苞(わらづと)で贈物にされていました。

 

 

⑨加賀の千代女(元録16~安永4年)句碑(真筆)

 

 

 あさがほに 釣瓶とられて もらひ水

 

季語は「朝顔」で、『歳時記』では秋の植物に分類されています。

 

千代は元禄十六年(1703)の生まれで、加賀(石川県)松任の人。

五十一歳の時出家して素園と号した。作風は素朴で女流俳人として有名。

 

「千代尼句集」があり、
「夕顔に女の肌のみゆる時 起きてみつ 寝てみつ 蚊帳の広さかな」
「蜻蛉つり 今日はどこまで行ったやら」
など千代らしい作品が伝えられている。

 

 

 

 

 

 

⑧小林一茶(宝暦13~文政10年)句碑(真筆)

 

 

 

 痩せ蛙 まけるな一茶 是にあり

 

一茶は宝暦十三年(1763)信濃(長野県)に生れ、はやくより江戸にでて竹阿に俳諧を学んだ。

父の死後異母兄弟との争い、三男一女の早死・晩年の位居焼失などにあい不遇のうちに一生を過した。
そのためか強者に対する反抗心と弱者に対する同情心が強く、野性に富み、主観的傾向の強さから奇警な目をもって眺めた作句が多く、文化・文政期の俳壇の異色的存在となった。

 

「おらが春」「七番日記」などを残して雪深い信濃柏原で死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

⑦松尾芭蕉(正保1~元録7年)句碑(真筆)

 

 

 ふる池や 蛙飛込む 水のおと

 

貞享3年作。句集『春の日』所収。


『庵桜』に二句「飛ンだる」、『暁山集』に初句「山吹や」となっています。

句の成立については各務支考著『葛の松原』(元録5年刊行)にくわしくみえます。

季語は「蛙」で、春。
伊丹市の柿衛文庫にこの句の芭蕉真蹟短冊があります。

 

 

芭蕉は正保元年(1644)伊賀(三重県)上野に生れ、はじめ藤堂家に仕えたが、二十八歳の時江戸に下り、深川に芭蕉庵を営んで俳諧風雅の道に精進すること十年、蕉風を確立し俳諧の革新をなしとげた。


行脚漂泊を第一義として生涯を行旅の中に終始し、大阪の「花屋」で客死するまでに「おくのほそみち」をはじめとする多くの紀行文を発表している。

 

 

解説文提供:
千里石ぶみの丘を創る会 道浦 摂陵 氏
吹田くわい保存会 北村 英一 氏