〔『〈特別企画・講演〉「適塾と大阪大学微生物病研究所」・「私の藤野先生―細菌学史にその名を刻んだ腸炎ビブリオの発見―」:『大阪大学適塾記念センター』:『大阪大学会館 講堂 」(豊中キャンパス):大阪府豊中市待兼山町1−13

 


大阪大学微生物病研究所創立90年・藤野厳九郎生誕150年:特別企画(講演)「適塾と大阪大学微生物病研究所」・「私の藤野先生―細菌学史にその名を刻んだ腸炎ビブリオの発見―」:2024.05.18

 

今日も五月晴れのおはようございます!

 

今日の午後は、久しぶりにご近所大学

 

『大阪大学』の「豊中キャンパス」へ!

 

我が国の近代西洋医学の礎期を想う

 

歴史のはざまの偉人『三人の藤野先生』、

 

その生涯と交流をご縁を頂いた

 

素晴らしい特別企画・講演会をご紹介いたします☆彡

 

適塾で緒方洪庵に学んだ在村医『藤野升八郎』、

 

その三男で中国の文豪・魯迅が生涯の師とした『藤野厳九郎』、

 

その甥で適塾顕彰活動に尽力した細菌学者『藤野恒三郎』、

 

素晴らしい三人の『藤野先生』たち!

 

特別企画の講演は、

 

木下タロウ(大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授(常勤))「適塾と大阪大学微生物病研究所」

 適塾は幕末の大坂にあって最先端の西洋医学を学ぶ場でした。緒方洪庵の薫陶を受けて育った門下生たちがその後明治維新を経て近代化していく我が国の医学の発展を支えました。東京大学や大阪大学の医学部の元になったそれぞれの医学校の主要な教員は適塾門下生です。大阪大学微生物病研究所は、東京大学伝染病研究所から大阪に赴任した谷口腆二らによって昭和9年に設立された感染症研究の拠点です。講演では、適塾から大阪大学微生物病研究所へと続く研究の流れを辿り、感染症研究の重要性を考えます。

 

竹田美文(元国立感染症研究所所長)「私の藤野先生-細菌学史にその名を刻んだ腸炎ビブリオの発見-」

 藤野恒三郎先生は、細菌学者であると同時に細菌学史に造詣の深い医史学者でもありました。講演の前半では、先生の大著「藤野・日本細菌学史」から、わが国に近代西洋医学が導入された経緯と発展を解説します。後半では、昭和25年に大阪府の泉南地方で発生した「シラス食中毒事件」に際して、新種細菌・腸炎ビブリオを発見した経緯について、当時の世情を解説するとともに、学界の反応を述べ、さらに腸炎ビブリオ食中毒の世界への拡大を述べます。

 

それでは、会場での配布資料等を通じて、

 

三人の『藤野先生』を少しでもご紹介できればと願っております!

 


【2024.05.18】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【私の藤野先生:武田美文 2024.05.18】